大地に立ち、海に臨む
漢民族の他に、台湾にはさらに長い歴史を持つ原住民族がいるが、彼らも水と関わる多くの伝統文化を持っている。
林美容さんは次のような例を挙げる。台湾西南部沿海の平埔族には嚎海祭という行事がある。女性の霊媒師が母語で歌う悲しい調べの「牽曲」は、かつて海を渡る途中で遭難した祖先の霊を慰める歌だ。台南一帯の平埔族は水源地を訪れて「請水」の儀式を行ない、気候が穏やかで作物が多く実るよう祈る。タオ族やアミ族の少年は海で、山中に暮らすルカイ族の少年は川で、年長者による訓練を受けなければ一人前の大人とは認められない。また、墾丁の遺跡から発掘された貝塚からも、先史時代の人々が海から糧を得ていたことがわかる。
長い時間の流れで見ると、人の移動と時代によって移り変わる信仰は、台湾でかつての故郷とは異なる特色を持つようになった。
台湾で盛んな王爺信仰を見ると、中国の故郷では地域の守護神とされ、それを海に流す風習があることから、台湾の沿海地域には多数の王船が流れ着いた。王船に乗った王爺が海上を漂っていたことから、信仰の形がしだいに変わり、漁師たちが崇める航海の神となったのである。
「鄭成功信仰」は世界でも台湾だけのものだ。濁水渓や大甲渓の流域には、鄭成功の霊力による鎮水を祈願して「開台聖王」「開台国姓公」などの聖号が刻まれた石碑が立てられている。歴史を紐解くと、鄭成功は台湾に短期間しか滞在しておらず、その足跡も台南一帯にしか残っていない。しかし台湾では、鄭成功はクジラの化身とされており、水害を抑える力があるとされている。
水辺行事の「再発見」は、伝統文化にもう一つの観点を提供し、また台湾文化が陸と海の両面を持つことを示している。
漢民族は、水を隔たりと見做し、水の中には「悪いもの」が隠れているとしてきた。しかし数百年前に海を渡って台湾に来た先人たちは、大海原に大きな可能性を見出したのである。
陸地は伝統であり、ルーツ、源であって、忘れてはならない。しかし海は積極的な発展に向かう存在で、開拓する価値のある領域でもある。「水辺行事」を整理することは最初の一歩に過ぎないのかもしれない。「目的は過去や伝統を断ち切ることではありません。固有の文化の上に、文化を活性化する窓口、世界文明のエッセンスを吸収するチャネル、世界とつながる道を生み出すことなのです」と林美容さんは締めくくった。
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水は人類の生存にとって必要不可欠な存在で、民俗やエスニックによってそれぞれの水文化が形成されてきた。日本統治時代から残る圓山水神社は、草山水道系統の水利施設の一つ、圓山貯水池の隣りにある。
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昔は海や川で遭難し、あるいは水害で命を落とす人が少なくなかった。済度の儀式の前日には火を灯した灯籠を流し、水の中の無縁仏を陸上での供養に招く。(外交部資料写真)
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彰化県二水の林先生廟は、施世榜を助けて八堡用水路の建設に貢献したと言われる林氏を祀っている。
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シラヤ族の「牽曲」の儀式の多くは女性が執り行う。女性たちは腕を交差させて手を取り合い、神霊への感謝を込めて母語で古い歌を歌う。(外交部資料写真)
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四方を海に囲まれた台湾では、陸上の思考である「火文化」と海の文化を象徴する「水文化」が複雑に共存している。
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台南一帯の廟の祭りで見られる「蜈蚣(ムカデ)陣」は、長く連なりまるで大地を這うムカデのように見える。ムカデとヘビが相克の関係にあることから、河川の氾濫を抑えるとされてきた。(外交部資料写真)
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観音は水と深い関りがあるとされ、多くの観音廟の前には池がある。(外交部資料写真)