Q:政治家研修班を始められた理由をお話しいただけますか。
A:政治に携わる人々は日常の事務に追われて非常に忙しいため、彼らのために、なぜ政治の道を選んだのかを静かに考える機会を作りたかったのです。心を開き、他者と交流することで自分を高め、政治に携わる姿勢を随時反省できるようになれば、より多くの人とともに民主主義と公の善を実現できると考えたのです。
台湾では、政治学界においても実際の政界においても、典型的な政治家の手本というものが育っておらず、一般の教育体系においても、政治家の品行や人格、文化的素養などを重視していません。もちろん短期の研修課程で、すぐに良い政治家を育てることはできません。しかし政党としてではなく、文教基金会という立場、つまり文化教育による心の浄化といった角度から研修を行なおうと考えたのは、真の政治指導者たるには発心が必要だと考えるからです。
そのため私たちが行なう研修は、生の意義、心の質、人間性の理解、芸術的境地の会得などを重視しており、さらに「苦難、利他、変と常、超越解脱の道に関する対話」「信仰と愛の力の立証」といったカリキュラムもあります。政治と組織の実務に携わる者は、人間的な価値を離れた些末な事務だけに追われるのではなく、人間性と生・老・病・死を理解していなければならず、また大きな歴史の中で自分がどこに位置づけられているか知っていなければなりません。ですから、カリキュラムでは人生や人間としての価値観を重視し、そこから台湾の政治家を育てていこうとしているのです。
Q:政治指導者には、どのような特質が必要だとお考えですか。
A:最も重要なのは素質です。政治家に必要な根本的な精神は、人と土地に対する深い思いです。政治という仕事に従事するなら、人間性がいかに複雑であろうと、コアとなる価値観を維持し、人格を確立しなければなりません。
Q:人格的素質の他に、台湾ではどのような能力が求められるでしょう。
A:まず十分な表現力が必要です。もし表現力が不十分で、メディアによるパッケージングや売名行為だけを通して活動していたのでは、それは残念なことです。政治家としてマスコミのインタビューを受ける時には、選択し判断する基準を持っていなければなりません。また政治理念をめぐる議論をする際にも、政党間の協調性を考慮し、不必要な争いを避ける能力も持っていなければなりません。価値観や理想の上で根本的に対立していたとしても、攻撃の知恵を保ち、国家の前途に有益なことだけをしていく必要があります。
Q:ご自身は優秀な政治指導者だとお考えですか。台湾社会にはリーダーは必要でしょうか。
A:指導者やリーダーという言葉は実はあまり好きではありません。今は民主主義の時代で、すべては国民の公の意志によって進められるのですから。真の民主主義を実現するために、台湾に必要なのは「政治家」であって「指導者」ではありません。実際には優秀な里長(民政区画の長)も立派な政治家なのです。
Q:ご自身は、これまでに政治理念の面などで、どのような政治家から影響を受けましたか。
A:リンカーンやガンジーは能力と愛の心を兼ね備えたタイプの政治家で、私も多少影響を受けました。しかし一般には、この二人は道徳的に崇高なイメージを持たれ過ぎています。この二人は「人として」の価値と意義を十分に示した人物だと言えるでしょう。もう一つの類型の政治家には、才能があふれ、弁が立つというタイプがあります。アメリカの第三代大統領のジェファソンやルーズベルト大統領などで、やはり敬服させられます。
Q:これまでの研修課程の中で、特殊なものをご紹介ください。
A:慈林文教基金会は数多くの研修を行なってきましたが、若者の創意によって生れた「結婚式」体験というものがあります。これは、政治に携わる人々に、政界に入るという決意は結婚する決意と同じように慎重で真剣でなければならないことを理解させようとするものです。結婚は一生の大事であり、婚姻生活は双方が忍耐強く互いに協力して営むもので、さまざまな観念や思想のコミュニケーションも必要です。結婚式を挙行するという体験によって、政治を志す人々に「政治は、一生の信念である」ということに気付いてほしいのです。
最後に申し上げたいのは、今日の台湾には政治家を養成するために力を注ぐ人が必要であり、この重要な仕事は長期的に発展させていかなければならないという点です。慈林文教基金会で行なう政治家研修班では、政治の実務経験があるベテラン政治家を招き、一緒にこの理想を実現させていきたいと考えています。そのようにしてこそ、参加者の間で意義のある観念が生まれ、政治に携わる人々の反省を促すことができるのです。