難しくてもできる
では、お年寄りたちにどうやってヒップホップダンスを受け入れてもらったのだろう。許美僟は、メンバーを集めるのは難しくなかったと言う。最初、地域の人から「何かプレゼントを用意しておかなければ、お年寄りは活動に参加しない」と言われたが、彼女はそうは思わなかった。普段から地域でスポーツをしている彼女は、いつもより少し遠くまで走り、近所の廟や雑貨屋などを訪ねてはお年寄りと話をし、コミュニティのボランティア隊長である黄長庚に頼んで一軒ずつ電話をかけ、訪ねて説得してもらった。こうして最初から20数名が参加を申し込み、多い時には70人余りまで増えたこともある。
だが6カラットの運営は常に順調だったわけではない。難しいのはダンスそのものではない。許美僟は弘光科技大学の学生にダンス講師を依頼した。もともとダンスクラブに所属する学生で、ダンスは専門だし、根気もある。年配者にダンスを教えるには根気が必要だ。若い人なら3〜4回練習すれば覚えられるところを、高齢者の場合は4〜5倍の時間をかけなければならない。初代の講師を務めた廖雅莉は、幾度も同じ練習を繰り返すことを厭わず、むしろ年配者に教えることがおもしろかったと言う。
最大の困難は、高齢者にヒップホップダンスの動きや速いリズム、派手なユニフォームなどを受け入れてもらうことだった。舞踊団の目標は舞台で踊ることなので、ヒップホップのステップは基本動作である。さらに音楽、服装、化粧などにもヒップホップのスタイルがある。長年にわたって培ってきた価値観を持つ70代、80代の年配者が、若者と真剣に向き合い、その意見を受け入れて変わることができるだろうか。
最初にレディ・ガガの「テレフォン」という歌をダンスに採用したが、歌詞は年配者に親しみのある台湾語ではないので、内容がわからないだけでなく、メロディも慣れ親しんだ曲調とは違う。若い講師は得意でない片言の台湾語を交えながら、動作や表情で自分の考えを表現し、この音楽でヒップホップを踊るよう鼓舞し続けた。そして10秒ずつ、20秒ずつ同じ音楽を繰り返し流して少しずつ振り付けを教え、手拍子でリズムを取るように指導した。こうして繰り返し練習していくうちに、高齢者も新しい音楽に適応していき、「最後には自分たちでリズムが取れるようになったんです」と廖雅莉は言う。
次に講師を担当した劉欣茹は、他の舞踊団と見分けがつくように、大きめのサイズの紫色バスケのユニフォームを着てもらおうと考えた。
だが、年配者はこれを受け入れず、劉欣茹は涙を流したこともあるという。それでもあきらめず、コミュニケーションを続けた。ユニフォームを着た動画を多くの人に見てもらったところ、その評判が良かったので、メンバーも「そんなに悪くない。おもしろいかも」と考えるようになり、少しずつ受け入れていった。台北アリーナのステージに立った後は、このユニフォームに愛着と誇りを持つようになったのである。
舞踊団のもう一人の中心的人物はボランティア隊長の黄長庚である。メンバーや講師、許美僟にとって黄長庚は万能のドラえもんのような存在で、どんな問題が起っても彼なら必ず解決してくれる。例えばマイクの電池が切れれば彼がどこからともなく電池を出してくれるし、メンバーの一人が来ていなければ彼が電話一本で状況を確認してくれる。地方へ公演に出かける時は、飲み物や弁当の準備もすべて引き受けてくれる。また、踊り手の人数が足りない時には、彼が自らステージに立ってくれるのである。