「台湾とベトナムはビジネス上のパートナーであるだけでなく、地理的にも近く、文化的には兄弟とも言えます。近年は台湾人とベトナム人の夫婦が数万組に達し、両国は親戚とも言えます」と話すのは、駐ホーチミン台北経済文化弁事処の陳杉林処長だ。その話によると、ASEAN諸国の中で台湾との関係がこれほど密接な国はベトナムを措いて他になく、台湾人はベトナムとの関係をもっと重視する必要がある。
台湾とベトナムとの関係は、経済から始まった。
台湾の桃園空港からハノイまでは2時間、南のホーチミンでも3時間とかからない。機内は両国を行き来する台湾人ビジネスマン、奥さんの実家に里帰りする台湾人とベトナム人の夫婦、そして幼い子供たちでいっぱいである。
慌しく食事を終えると、ゆっくりする間もなく、もうベトナム上空に到着する。
空から見下ろせば、ベトナム南部では緑濃い水田の間を黄土色のメコン川が流れ、北部ではレンガ色のホン川が流れる。まるで緑の大地から龍が飛び立とうとしているかのようだ。
2007年、ベトナムはまさに飛び立たんとする龍のような勢いに満ちている。

バイクのパーツを生産するベトナムの九益社はすでに12年の歴史を持つ。制度を整え、すべてベトナム政府の法令に従うことで労使紛争を回避してきた。
世界の舞台に立つ新星
ベトナムは1995年にASEANに加盟、アメリカと国交を樹立し、EUと自由貿易協定(FTA)を締結した。1998年にはAPEC加盟、多数の国と貿易および投資に関する促進・保障協定を締結、2007年1月にはWTOの第150番目の加盟国となった。ベトナムは中国に次いで世界で2番目の急成長国である。ゴールドマン・サックスの2005年のレポートは、ベトナムを「ネクスト・イレブン」のトップに挙げている。また日本の経済評論家・門倉貴史氏が提唱する新興5ヶ国VISTA(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)のうち、ベトナムはトップに挙げられている。
世界中がベトナム経済の先行きを楽観する中、ベトナムも積極的に国際社会に存在感を示している。2004年には第五回ASEMアジア欧州会議を開催、2006年11月にはハノイでAPEC開催、2008年4月には第四回ASEAN中央銀行総裁・副総裁会議を開催する。
高度成長は多くの外国資本をひきつける。2006年の1年間だけで外国からの投資額は102億米ドル、新投資件数は800に達し、前年比47.4%の成長となった。国連貿易開発会議がまとめた2004年の世界投資リポートによると、外国からの投資において、ベトナムは140ヶ国中39位、アジアで5位である。世界の大企業によるベトナム経済戦争が始まったと言えそうだ。

黄色い外壁に繊細な彫刻が施された市役所の建物には90年の歴史があり、ホーチミンで最も美しいフランス植民地建築と言われている。その広場に立つ民族の英雄、ホーチミンの彫像は女児を抱いている。生涯結婚せず、子供もいなかったホーチミンが、国民を子女と見做して貢献してきたことを象徴している。
昔から台湾企業に人気の投資先
このベトナムブームは台湾にも及んでいる。
今年2月、台湾の対外貿易協会は100余名を率いてベトナムへの投資視察を実施した。6月には中華経済研究院が「ベトナム経済貿易フォーラム」を開催し、200人収容の会場は満席になった。証券市場では、ベトナムに投資している大亜、東元、億泰、三陽などの株が「ベトナム関連株」と呼ばれ、高騰している。
「今年に入ってから、ベトナムに視察に訪れたり、投資を計画している企業は昨年の3倍に達しています」と話す駐ホーチミン台北経済文化弁事処の陳杉林処長は、これはマスメディアの功労でもあると言う。この一年、TVBSや東森、FTV、CTV、TTVといった台湾のテレビ局は、まるで新大陸を発見したかのようにベトナムを紹介し、台湾人は隣国ベトナムに注目し始めた。
実際のところ、台湾企業がベトナムに投資を始めたのは最近のことではない。ベトナムが「ネクスト・イレブン」「新興5ヶ国」などと呼ばれるずっと前、さらには1994年に台湾政府が「南向政策」を推進し始める前から、嗅覚の鋭い台湾企業はベトナムへの大々的な投資を始めていた。台湾企業がベトナム経済の成長を後押ししてきたと言っても決して過言ではないのである。
ベトナムが1986年に改革開放政策を採り始めて以来、これまでに3万人近い台湾人が、ここでビジネスに取り組んできた。当初から進出していた台湾企業と最近になって投資を始めた企業とでは、それぞれ経験も異なる。

戦火に見舞われたホーチミン市だが、今もフランス植民地時代の建築物がよく保存されている。1877年に落成した市中心部のノートルダム大聖堂(サイゴン大教会)は赤レンガ造りなので「赤い教会」とも呼ばれる。ホーチミンのランドマークだ。
新旧の台湾企業の比較
台湾人にとって、ベトナムには他の東南アジアの国にはない魅力が多い。まず文化的に近いことが挙げられる。ベトナム人は台湾人と同様に旧正月や中秋節を祝い、土地公(土地神様)を祭る。それに農林漁業や鉱業などの天然資源が豊富で労働力が安く、台湾企業には非常に魅力的だ。
ベトナムにとっても、台湾は最も早く入ってきた外国資本であり、長年にわたって外国資本の第1位だった。今年6月現在、台湾からベトナムへの投資件数は累計1637件で外国人投資件数の22%、投資総額は87億米ドルで外資全体の13%を占めている。ここ2年は金額面で韓国とシンガポールに抜かれて3位になっているが、台湾企業が香港やシンガポールなどを通して投資している分を含めると、台湾は事実上、最大の投資国なのである。
台湾とベトナムとの間には正式の国交はないが、経済面では政府間の接触は多い。
1990年、台湾の経済部は半官半民の形でベトナムに拠点を置き、企業によるベトナム視察を開始、1991年には正式に事務所を設立した。1992年には外交部が首都のハノイと南のホーチミンにそれぞれ駐ベトナム台北経済文化弁事処を設置した。
台湾貿易センター駐ホーチミン弁事処の侯文欽主任によると、当時は台湾ドルが大幅に値上がりし、台湾の人件費は急上昇、環境保護関連法令も厳しくなった頃で、台湾企業の間では工場閉鎖が相次いでいた。そうした中で、多くの企業主が、開放が始まったばかりのベトナムに本拠地を移転、その大部分が商工業の基礎ができていた南ベトナムの首都サイゴン(1975年の南北統一後はホーチミンに改称)に集中していた。当時は労働集約型の繊維産業や家具産業が中心だった。
1993年、ベトナム戦争敗北を恥としてきたアメリカが、つい禁輸制裁を解除し、台湾企業が大々的に投資する機運が生まれた。しかし、当時はまだ共産主義の遺風が残っており、多くの産業は外国人投資家に開放されておらず、共同経営の形を採らなければならなかった。例えば、1991年に台湾の中央貿易開発グループとホーチミン市政府に属するタン・トゥアン工業開発が共同で始めたタン・トゥアン加工輸出区や、1993年の南サイゴン都市開発計画などだ。台湾企業の中には現地の民間人の名義を借りて投資するものもあったが、法令や契約が整っておらず、問題も多かった。

ベトナム・ファイル
抜け穴もチャンスもある
だが「耀徳国際開発」は共同経営で辛酸をなめた。
耀徳国際開発の社長で、今はベトナム台湾企業聯合総会の事務局長も務める沈銘仁さんは、1990年からホーチミンで最もにぎやかなドン・コイ通りにオフィスビルを建てて不動産賃貸を開始した。1989年に対外貿易協会の視察団に参加してベトナムに惚れ込み、不動産建設に投資するだけでなく、ベトナム人女性と結婚して現地に家を構えた。沈さんはこの18年を振り返り、ベトナム政府と協力してきたが、長年にわたって「縛り付けられてきた」感じが抜けないと言う。
「政府とは誰のことなのでしょう」と沈さんは問いかける。共同経営の相手は、自分では何も決められず、法令手続に時間がかかるばかりで、何も決められないまま時間を消耗したという。
ここ10年の投資環境と比較すると、以前のベトナムは「人治社会」で法令は整っておらず、外国人投資法もわずか20ページほどだった。「抜け穴もありましたが、ビジネスチャンスもありました」と言う。今は何もかも法令で定められ、ルールが明確になったが、その分チャンスも少なくなったと沈さんは言う。
慶豊グループの黄世惠董事長も政府主催のベトナム視察団に参加し、1992年に投資を決定した。主な投資項目は、オートバイ関連製品の生産販売を行なう三陽工業、慶豊環宇とハイフォン市とベトナムセメント社によるセメント工場、そして慶豊銀行ベトナム支店などである。

今年37歳という鋒明国際公司の蔡文瑞総経理は7年前にベトナムに赴任し、会社の規模を10倍まで成長させた。
難しいオートバイ市場
ベトナムの街はバイクであふれている。バイクは足代わりであるだけでなく、身分や地位の象徴でもあり、若者の憧れだ。しかし、バイク製造で知られる三陽工業は苦戦し、10年の赤字の末に2003年、11年目にしてようやく利益が出始めた。
中華民国国際合作発展基金会ベトナム経済委員会の秘書長で、三陽工業副総経理を務める劉武雄さんは、ベトナム市場開拓の先鋒として長年ベトナムで過ごし、ベトナム語を流暢に話す。
「三陽の失敗の経験は台湾企業の参考になるはずです」と劉武雄さんは言う。最初の頃、三陽は現地の特殊なニーズを考慮せず、台湾の製品をそのままベトナムで販売した。しかし、ベトナムでは排水設備が不十分で雨が降ると道路が水に浸かるため、タイヤは大きくなければならない。また、ベトナム社会でまだ信用という観念が確立されていなかった1996年に、分割払い方式を導入したが、回収が難しく、焦げ付きが2〜3割に達した。さらに、三陽では国際化経験が不十分で、外国語人材や情報、海外での経営管理などの支援システムが統合できず、苦労を重ねてきた。
その後、戦略を転換して「現地化」を進め、台湾とは違う製品を開発し始めた。軽くて燃費が良く、メンテナンスが容易で、価格はわずか1000米ドルという「80cc国民バイク」ATTILAを打ち出したのである。販売台数はすでに30万台を超え、三陽はベトナムでホンダとヤマハに次ぐ第3のブランドになった。
「いま三陽はベトナムで年間17万台を売り、年間売上は1.8億米ドルに達します」と劉武雄さんは言う。将来的にはベトナムを基地としてASEAN市場(現在この市場での販売台数は年間5万台)を開拓していく予定だ。
三陽の工場の近くで、メーターやウィンカーなどのバイク部品を供給する久益企業は三陽とともにベトナムに進出して12年になる。郭昭宏総経理によると、同社の中国アモイ工場と比較すると、ベトナム工場の製品の方が品質は良いが、コストは高いという。ベトナムでは部品供給チェーンが不十分で、多くを台湾から輸入しなければならないからだ。

ベトナム・ファイル
ベトナムで大きく成長
1997年末のアジア金融危機の後、東南アジアの通貨は暴落し、経済は大打撃を受けた。だが、リスクを恐れない台湾企業にとって、これはベトナム進出の絶好のチャンスとなった。
鋒明国際公司の総経理でビンズオン省台湾企業会副会長の蔡文瑞さんが1999年にベトナム投資を決めたのは、人件費の安さからだ。「台湾とベトナムの人件費は10倍の差があり、弊社ベトナム工場の400人分の人件費だけで、年間1億台湾ドル近い人件費削減になります」と言う。
また、台湾ではさまざまな制限に縛られるが、ベトナムでは思い切った行動が採れるのでチャンスも広がると言う。台湾の産業は成熟して細分化しており、サプライチェーンが整っているので産業全体の競争力は強いが、逆に言えば、各メーカーが川上や川下に手を広げる機会は少ない。その点、ベトナムでは産業の空白が多いので、多くの企業は、垂直あるいは横方向に発展し、自らの規模を拡大できるのである。
7年来、鋒明社は台湾彰化県での本業――自転車のシート製造からPU発泡製造、自転車のプラスチック部品、プラスチック射出成形加工など、関連産業に次々と進出してきた。
1970年創立の同社は、かつて台湾ではOEM生産だけだったが、ベトナムへ来てからは自社ブランドActiveを打ち出し、デザインや金型開発も自社で行ない、300種類以上のシートを開発してきた。同社の自転車シートは台湾では市場の5割を占め、ベトナムからはタイ、インドネシア、ヨーロッパへも輸出している。昨年はイタリアにも進出し、台湾中小企業の海外移転後の成功例の一つとされている。

台湾の食品メーカー義美は、ベトナムの廉価な農産物と労働力を活かしてハノイで葱油餅などの製品を作り、台湾でトップシェアを維持している。
「南向」から「転進」へ
ベトナムで台湾の中小企業は成功しており、7割の成功率は大陸におけるそれに劣らない。
「2年前から新たなベトナム投資ブームが起きているのは明らかです」と駐ホーチミン台北経済文化弁事処の陳杉林処長は言う。今回のブームは中国大陸と関係している。中国では現地企業が急激に力をつけており、台湾企業の空間が狭まっているのである。また、靴、自転車、省エネ電球などがEUから反ダンピング税をかけられ、人件費が上昇(2005年の広東省東莞;の最低賃金は570人民元で前年より3割上昇)するなど不利な条件が重なり、多くの台湾企業はリスク分散のためにベトナムに向い始めたのである。
さらにここ数年は中国も環境保護を強調し始め、高エネルギー消費、高汚染の産業を西部へ移転する考えでいるため、台湾企業は新しい投資先を探してきた。今年2月、対外貿易協会が主催したベトナム視察団128人のうち、8割はすでに大陸に工場を持っている従来型産業だった。
今年初めにベトナムがWTOに加盟したことで、大企業の投資意欲も高まった。台湾IT大手の鴻海、ASUS、Compalなども次々と進出を決めている。
鴻海グループは50億米ドルの投資を計画しており、7月初旬にビンディン省人民委員会と備忘録を交わした。まずビンディン省人民委員会経済特区に10億米ドルを投じて700ヘクタールの工業区と300ヘクタールのサービス総合区、それに50ヘクタールの住宅区を建設する。この投資計画に対して、ビンディン省は15年間、営利事業所得税を下げて10%とし、収益が出始めてからの4年間は所得税を免除する。
Compalはハノイのあるヴィンフック省に3000万米ドルをかけて工場を建設する予定だ。
Compal投資人関係処の張志明マネージャーによると、中国江蘇省崑山にある同社の工場は3工場に2万人が働いているが、すでに飽和状態で、海外の顧客からはリスク分散の要求もあり、他に生産基地を設ける必要が出ている。ベトナムを選んだのは原価を考慮してのことだ。
「ノートPC市場は急成長し、シェアも上っていますが、価格は下がっているのでコストダウンが重要な課題になっています」と張さんは言う。ベトナム政府からは当初4年は免税、その後9年間は税半減という優遇条件を得ている。それが大きな誘引となって8月の取締役会でこの投資案は承認され、用地が決まればすぐに着工する予定だ。
IT大手のベトナム進出に対して、台湾貿易センター駐ホーチミン弁事処の侯文欽処長は、ベトナムはインフラが不十分で重工業も発達しておらず、電子関係の人材も極めて不足していると注意を促す。現在は部品を輸入してアセンブリをするしかないのである。インテルのマイクロプロセッサも、ベトナムでは半製品を輸入して封止するだけだ。ベトナムでは一般労力は豊富だが、専門の人材が不足しているからである。
「ハイテク人材は海外から帰国したベトナム人に頼るほかありません」と話すのは東元(TECO)グループの蔡文生副総経理だ。同社では30〜40代の帰国人材を頼りにしているが、育成にはまだ時間がかかると言う。

先を争ってベトナムへ
ハイテク産業にとってベトナムの条件はまだ不十分だが、企業は先を争って進出している。
蔡文生さんによると、東元は世界数ヶ所の高度成長地域を対象に「セブンスター計画」を立てており、ベトナムはその中で最も期待される国だと言う。
東元グループのベトナム投資計画は、ドンナイ省にモーター工場、ビンユーン省に家電工場、ホーチミンに電信工場というものだ。ビンユーン省、敷地50ヘクタールの「東元ベトナムハイテクパーク」は8月に着工し、供給メーカー7社も進出する。
「大企業は趨勢を見て、中小企業は時機を見て投資します」と東元の呉俊中財務長は話す。ベトナムの条件はまだ成熟していないが、長期的な布陣を考えると、いま投資しないわけにはいかない。
ドンナイ省のモーター工場の敷地はサッカーグラウンド3個半分もあり、昨年9月に竣工した。近くに国際空港が計画されているが、まだまだ僻地で、工場の塀の外では牛が草を食んでいる。
東元はベトナムに進出して1年足らず、モーター工場では技術力に限界があって半製品の加工輸出に止まっている。エアコン部門はベトナム市場への販売とメンテのみで生産していない。
「ベトナムは加工輸出の生産基地であるだけでなく、世界中が注目する市場でもあります」と呉俊中さんは言う。ベトナムの人口は8000万人、2006年の平均所得は720米ドルだが、将来のGDP成長率は「ネクスト・イレブン」のトップと見られている。またWTO加盟により、市場開放へ向うことは確実だ。

インフラ建設の遅れがベトナム経済の成長速度の障害になっている。公共施設の大幅改善をいかに進めるかがベトナム政府の最大の課題である。
南北の二大都市
中小企業から大企業、従来型産業からハイテク産業やサービス業まで、台湾企業の足跡はホーチミンや近隣のドンナイ省、ビンユーン省から北のハノイやハイフォンへと広がりつつある。
メコンデルタに位置するホーチミンは昔から「東洋のパリ」と呼ばれ、フランス植民地時代にサイゴン川河畔に建てられたサイゴン大教会、市民劇場、中央郵便局などヨーロッパ風の建築物が残っている。北部のホン川が流れる、共産主義の首都ハノイに比べると、ホーチミンは人口が多く、早くから開発されており、華人が多いなどのメリットがある。しかし、労働力需要が増え続けて人手不足が生じるおそれもあり、台湾企業は目をハノイに向け始めた。
ホーチミンを上海に喩えるなら中央政府があるハノイは北京に似ている。古い建築物や遺跡もあり、法の執行が厳しいため厳粛な雰囲気が感じられる。ハノイは緯度的にも気候的にも台湾に近く、ホーチミンのように一年中蒸し暑いということはない。
ハノイに工場を設置した最初の台湾大企業は義美グループだ。敷地面積7.5ヘクタール、食品の義美、プラスチック包装材の燦美、そしてゴルフバッグ製造の全球の3社が入っている。
義美の食品工場は1998年に着工し、翌年から生産を始めた。ベトナム工場総経理の李俊男さんによると、醤油や色素などは台湾の高級品を使用しているが、それ以外の8割の原材料は現地調達だ。ベトナム北部を投資先に選んだのは、気候が台湾に似ており、米がおいしいからだと言う。
ベトナムは世界第二の米の輸出国でもある。米価は台湾の半分、人件費は台湾の10分の1なので、義美は多くの作業員を必要とする生産ラインをベトナムに移した。冷凍食品の葱油餅などは人の手で小麦粉の生地をこねる必要があり、煎餅に海苔を巻くのも手作業だ。工場設置から8年、従業員数は400人で、大幅なコストダウンに成功した。
李俊男さんによると、工場の建設許可を得る際、100%輸出ということで申請したので、ここで生産される葱油餅や煎餅は台湾や欧米に輸出している。
「将来的には国内市場を開拓するつもりですが、まだ時間がかかります」と話す李俊男さんによると、市場開拓自体は難しくないが、中国と同様、ベトナムではまだ代理店制度が確立されておらず、販売店が増えると売上回収に非常に手間がかかり、売れば売るほど儲けは少なくなるのだ。

伝統から現代化、国際化への道は遠いかも知れないが、その方向が変ることはない。
グローバル戦略
高級靴を生産する華泰実業は、今回のベトナム投資で「転進」した典型的な事例だ。
2004年に着工し、2006年5月から生産を開始した華泰ベトナム工場の1000人の従業員の幹部の内訳は、台湾人が8人、4名は中国人、16人はタイ人で、それ以外はベトナム人ばかりだ。パターン師は中国人、現場管理はタイ人、営業開発は台湾人という具合に、国際的な組織である。
タイ工場創設から8年、中国にも工場を持つ華泰の梁明隆総経理によると、近年はタイバーツの為替レートが不安定で、労働力不足と賃金上昇の傾向があるため、タイ工場を基礎として、それをベトナムに「複製」する必要があったという。
昨年、ベトナムの皮革製品はEUから反ダンピング税を課されたが、華泰は影響を受けずに済んだ。タイに対しては反ダンピング税がないので、ベトナムで生産した半製品をタイで加工して輸出しているからだ。華泰は投資先の国々を臨機応変に活用し、グローバル化の利点を活かしている。

どうチャンスを活かすか
ベトナムのチャンスは誰の目にも明らかだが、誰もが利益を得られるわけではない。
侯文欽さんの見積りでは、ベトナムでの台湾企業の成功率は約7割だ。しかし、工業区の土地貸借契約は50年で、それを手放そうとする企業も少なくない。
いずれにせよ、成功者は多く、対外貿易協会が主催する9月の視察団にも、8月初旬で60人が申し込んでいる。
「南向」から「転進」へ、ホーチミンからハノイへ、投資ブームはまだ始まったばかりだ。
「将来的に大きな発展が見込めるのですから、今こそチャンスをつかむべきです」と行政院経済建設委員会の葉明峰副主任委員は、ベトナム投資を奨励する。

ハノイの空港を出ると道路の両側には緑の稲田が広がり、農家の人々が働いている。その中に立つ巨大な看板が、資本主義時代の到来を告げているかのようだ。
エスニック:54民族(88%はベト人)
面積:33万1698平方キロ
首都:ハノイ
最大都市:ホーチミン
政治体制:社会主義共和国
気候:南部は熱帯モンスーン気候で乾季と雨季がある。北部は四季がある。
鉱物:石油・天然ガス
農産物:米とコーヒーの世界第二の輸出国
国民平均所得:720米ドル
GDP成長率:8.17%
為替レート:1米ドル15,819ドン
公用語:ベトナム語
台湾との時差:1時間
| ランク | 国・地域 | 投資件数 | 割合(%) | 投資金額 | 割合(%) |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 韓国 | 1,458 | 19.46 | 9,365.32 | 13.89 |
| 2 | シンガポール | 486 | 6.49 | 9,191.49 | 13.63 |
| 3 | 台湾 | 1,637 | 21.85 | 8,728.09 | 12.95 |
| 4 | 日本 | 819 | 10.93 | 8,067.01 | 11.97 |
| 5 | 香港 | 404 | 5.39 | 5,505.19 | 8.17 |
| 6 | イギリス領ヴァージン諸島 | 300 | 4.00 | 3,818.80 | 5.66 |
| 7 | オランダ | 76 | 1.01 | 2,429.37 | 3.60 |
| 8 | アメリカ | 335 | 4.47 | 2,319.39 | 3.44 |
| 9 | フランス | 179 | 2.39 | 2,249.49 | 3.34 |
| 10 | マレーシア | 219 | 2.92 | 1,739.80 | 2.58 |
|
単位:100万米ドル
資料:ベトナム計画投資省(1988-2007年6月) |
|||||

ベトナム・ファイル

経営と思考を「現地化」することで、三陽工業のバイクはベトナム市場参入に成功し、現地のオートバイ三大ブランドの一つとなった。写真はハノイ工場。