台湾のドイツ人
異邦人として台湾で暮らす中で、もちろん多くの驚きや不適応があった。「でも若かったから何でも我慢できました」と付け足し、笑いを誘う。
最大の違いは、ドイツ人はプライベートでも公共の場でも、時間と空間に厳格なことだった。
両国の文化差を熟知する葉は「ドイツ人の家では物の置き場もきちんと決まっていて、子供でも勝手に動かしてはいけません」と言う。何事もアバウトな台湾人にとっては想像し難いことだ。
魏楽富と葉緑娜の家の中をよく見れば、生活用品を大量に収めた空間もよく整頓されている。ピアノ室のピアノの上には楽譜が高く積まれているが、「これは最近使用中のものです」と言う。書斎には図書館かと思うほどの書籍があるが、これもABC順にきちんと並べられていた。
ピアノのレッスンに生徒がよく家に来る。魏楽富によれば、ある日レッスンについてきた親が「先生はお気遣いなく、自分でやりますから」と言って、自分で台所に行って冷蔵庫を開けた。「ドイツだったら警察を呼んでもいい行為ですよ」と彼は言う。
聞くところによれば、空間概念の明確なドイツ人は、小学校入学時から自分の居住地の座標や地理、主な道路などを学ぶという。まるでこの広い世界のどこに自分がいるのか知らなければ安心して暮らせないとでも言うようだ。
そうした精神を、彼も台湾で発揮している。居住地の台北市大安区を起点に自転車で台北をくまなく走り回って地図を作成し、主な道路を頭に刻み込んだ。
しかも「大安区の形はプロセインのフリードリヒ2世の横顔に似ていることに気づきました」と言って彼は形を描いてみせる。
今いる場所に故郷のものを重ねて見る。これはこの地に根を下ろすための、彼なりの方法なのかもしれない。
多くのドイツ人がと同じように、魏楽富も笑わない時は厳しい顔つきだ。だが話し始めると、外国語訛りの中国語でドイツ語や英語を交えてよく話し、その著書そのままにユーモアあふれる。
魏楽富は台湾で自らが経験し感じたことを、言葉を越えた心に響くメロ ディーとして表現する。