痛みを感じて大切さを知る
古名伸は、20歳で中華民国青年友好訪問団に参加して初めてアメリカを訪れた際、ミシガン大学の舞踊教室で、ダンサーたちがなぜこんなに楽しそうなのかと驚いた。自分は少しも楽しくなかったのである。東洋と西洋で、なぜこれほど学習に差があるのか分からず、授業を休んで一人で涙を流すこともあった。
一年ほどスランプを経験し、ようやく教室に戻ったが、さらに大きな問題が発生した。それまでは軽々とできていた基本動作ができなかったのである。筋肉はこわばり、関節も硬くなっていた。授業での最初の動作は、膝を曲げて腰を落とし、そこからさらに深く沈みこんでいくものだが、そうすると足が震え、腰を落とすと震えが大きくなっていく。古名伸は恐怖を覚えたが、絶えず肢体と対話し、身体の記憶を取り戻そうとした。「腹を出さずに息を吸う」「膝を内向きにしない」「肩は落として」「上半身を持ち上げて」と自分に言い聞かせ続けた。1回の授業で床が濡れるほど汗まみれになり、全身の力が抜けた。しかし、この肉体の痛みとの対話が彼女の目を覚まし、新たな道へと導いたのである。
「私はダンスが好きなのだ」と心から思い、舞踊こそ己が持って生まれた本能だと感じた。純粋に踊ることに喜びを感じたのである。そして、どう踊り(how)、何のために踊るか(why)、踊りとは何か(what)をより深く探求することの価値を見出したのである。
怪我はダンサーの宿命で、ほんの一瞬の気のゆるみを狙ってくる。ある時、遅刻してウォーミングアップをせずに慌てて稽古を始めた時、身体の中で小さな音がし、「やってしまった!」と思った。メンバーには注意していたのに、自分は不注意を犯したのである。痛み止めの注射を打ち、テーピングをしてステージに立ったが、それは苦痛との戦いだった。
「不思議なことです」オランダのダンサーと最後のダンスを踊っていた時、再びあの音がした。その瞬間「明日は踊れないだろう」と覚悟したのだが、その晩はよく眠れ、目覚めると軽やかに動くことができた。少しの痛みもなく、もともとの怪我の部位も痛くなくなっていた。「あの瞬間、すべての筋肉と骨格が正しい方向に動き、すべてが正しい位置に戻ったのでしょう」
国家文芸賞受賞者である古名伸と李小平は、3年をかけて「星図」を完成させた。