無心插柳的超級舞台

沙布喇‧安德烈的時尚之路
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2015 / 4月

文‧彭蕙仙 圖‧莊坤儒


舞台上,小紅莓樂團朦朧慵懶的音樂和嗓音柔柔響起,一個個穿戴著奇異服裝造型的模特兒緩緩地走了出來,現場觀眾頓時進入了一個難以形容的迷幻世界。這是新銳服裝設計師沙布喇‧安德烈(漢名高勝忠)在2009年實踐大學服裝設計系的畢業展出作品,融合了裝置藝術、歌德風,以及最重要的,台灣原住民元素,所創造出來的強烈風格,吸引了現場觀眾的高度關注,最終獲得畢業展第一名。「表演結束後,好幾位業界服裝設計師和採購跑來找我,希望能夠尋求合作的機會。」從這一刻開始,安德烈確認了自己未來應該要走的路。


到台北畫電影看板

「其實我從來沒有想過自己會進入時尚這一行,」來自台東排灣族的安德烈說:「一切都是無心插柳。」因為家境貧窮,身為長子的安德烈必須分擔家計,因此讀完國一上學期後就休學到台北打工,當時他做的工作是畫電影看板,「所以那時的我沒讀多少書,電影倒看了不少。」

安德烈從學徒做起,一個月6,000元的薪水,他寄4,000元回家;而後越來越上手,成為專業的彩繪看板師傅,收入也明顯增加,但那時候的安德烈也不過就是個青春期的孩子,每天身處在流行的最前端:西門町,鍛練出安德烈敏銳的色感和視覺能力,不知不覺中,為他後來進入時尚產業打下了良好的基礎。

一方面因為電影看板這個行業逐漸沒落,另一方面安德烈的內心開始有了更大的夢想,想要接受更紮實、專業的訓練,因此苦讀取得國中同等學力後,再報考復興美工,而後以第一名的優異成績從繪畫組畢業;更難得的是,他在求學期間的創作幾乎都被收藏。

就讀復興美工時,安德烈在百貨公司擔任櫥窗陳列,「這個工作讓我同時擁有美學和商業的訓練,因為櫥窗陳列不只是裝置藝術的呈現,還要具有行銷的功能,讓消費者看了櫥窗裡的擺設產生購買的欲望。」安德烈認為這段歷練,對他後來成立自己的品牌,有很大的幫助。

進入服設計領域

退伍後,「我開始比較認真的思考自己的未來,」安德烈說:「我一直問自己,我的人生還有沒其他的可能性?」安德烈想要進修、充實自己。以復興美工所學為基礎,他打算報考多媒體設計科系,到實踐報名時才發現多媒體系沒有夜間部,白天一定要上班賺錢的安德烈有些失望;後來負責接受報名人員建議他,不然來唸服裝設計好了,因為這個系有夜間部。

安德烈心想,只要有機會進修都是好的,因此就這樣一腳踏進了服裝設計這個領域。剛開始,安德烈也不知道自己到底能不能唸得下去,不久,有一個全國T恤設計比賽,老師鼓勵同學們都去報名試試,「沒想到我竟然拿下了第一名!」此時,安德烈心想,似乎自己可以在這個領域走走看喔。

看來,一直到了復興美工才算開始有系統學習美術的安德烈,確實有設計方面的天份,他自己的解釋則是「或許這些是我原住民血液裡的東西吧,大自然和部落生活,給了我不同於都會孩子的視覺和感官經驗。」在實踐的歲月裡,安德烈藉著一次又一次的比賽肯定自己、讓自己被看見。他在學生時期就大膽地接下商業的設計委託,安德烈說,商業委託案有酬勞,廠商的要求很多也很細,「考驗的是有沒有真本事。」

創立自己的品牌

安德烈在2009年得到紡拓會全國時裝設計競賽冠軍後,決定以自己的名字「安德烈」(ANDRE)創立自有品牌。而後紡拓會為協助成衣服飾產業轉型,並提升產品創新設計和建立自有品牌、開拓新商機,建置營運「西園29服飾創作基地」(Fashion Institute of Taipei,簡稱FIT),並舉辦了第一屆「西園29服飾創作基地設計師競賽」,由知名設計師竇騰璜等專家依設計的市場性、創意性和國際市場潛力等,選出5位設計師,安德烈幸運入選,「進駐的設計師可以使用基地的硬體設備、技術支援,包括紡拓會所設立的3大打樣中心等,還擁有專屬的工作室。」更大爭U力或者說是挑戰,則是可以在台中勤美誠品的複合式櫃點,正式販售自創品牌。

至此,「安德烈」這個品牌總算要真正面對消費者了,「我心裡好緊張,開櫃前一天,一直做陳列做到半夜。」結果,他的服裝在勤美誠品一天就賣完了,業界以「一鳴驚人」形容;安德烈則說:「這讓我吃下了一顆定心丸,原來我設計的服裝真的有那麼多消費者喜歡耶,我想,我應該勇敢繼續衝下去。」

安德烈在讀台東大武國中國一時,上學期曾參加全國民主法治漫畫比賽,獲得全台東國中組第一名,取得下學期代表台東參加全國比賽的資格,可惜的是,安德烈因為家境問題休學,因此錯過了這個比賽。從此,在安德烈的心裡一直有個要「參加更大的比賽」的夢想。

2014年,他以噶瑪蘭族公主、布農族射日傳說、排灣族陶壺孵化始祖等7個原住民神話故事為基底,賦予時尚新意,做成抽象印花布料、設計為極具個人風格的服裝,並結合台塑第三代千金蔡佳宸自創品牌「宸諾」的水晶珠寶設計,得到「Taipei IN Style」(台北魅力展)的台北時尚新銳設計師銀獎;值得一提的是,首次曝光的蔡佳宸還親自上陣為安德烈走秀,演繹魯凱族巴冷公主的愛情系列,兩人雙雙得到高度關注。2014年台北市長選舉的第一場候選人電視辯論會,蔡依珊就是穿著這個系列的襯衫、長窄裙,陪著先生連勝文出席,鮮豔亮眼的印花立刻引發眾人連聲讚嘆。

為藝人做造型、服裝設計

安德烈說,這個系列的設計靈感最初是來自排灣族「陶壺之子」的傳說,他將神話故事中的陶壺立體造型轉換成抽象的印花圖騰,再設計成時尚、具有個人風格的面料,然後運用在洋裝、衣裙上;而後他又陸續加入其他原住民族的不同神話傳說,結合印花、編織、雕刻等傳統圖案,形成豐富的原住民圖騰系列印花布料。這個系列的設計印花,後來得到紡織大廠的青睞,設計製作的產品從洋裝、裙子等服飾,擴大到T-shirt和各式包包等,在不同商品及配件中有多元呈現。

安德烈的另一個設計路線是從傳統中提煉設計元素,透過新穎的藝術表現手法,呈現出超現實主義或未來主義的風格,再加上跨媒材的運用,大膽、搶眼,讓他的服裝彷彿有著成千上萬種的不同表情,這種風格特別具有舞台效果。為了爭取更多表現機會,安德烈決定毛遂自薦,他透過臉書主動和知名造型師陳孫華聯絡上,在陳孫華的提攜下,安德烈接下藝人演唱會和廣告的服裝造型設計,如羅志祥、林俊傑、蔡依林、孫燕姿、蔡健雅、SHE、楊乃文等……,安德烈都曾經為他們設計過演唱會的造型和服裝;此外,2013年金曲獎最佳台語歌手得獎人李婭莎就穿著安摩P的設計現身星光大道,網友盛讚是當天最搶眼的藝人。

幫藝人做造型設計,有穩定的收入、也打響了知名度,但安德烈心心念念的還是發展自有品牌,「幫藝人做造型設計可以天馬行空,這滿足了我不安的靈魂,但品牌要進入市場那又是另外一回事。」安德烈說,這不只是個人設計而已,更需要有商業和行銷方面的投入和能耐。安德烈觀察了國內設計師品牌的經營模式,發現大部分設計師品牌以精品小量走「寄賣」路線,他覺得這樣會有庫存的壓力,因此安德烈決定走出國內市場。他以生產少量樣本的方式,自費到國外參展,取得訂單後才生產。

參展找商機

因此安德全力投入各大國際展,巴黎、紐約、香港、北京、上海等地的時裝周、流行展都可以看得到安德烈的身影。透過展覽,他接到了來自歐洲和中東等國家的訂單,甚至還曾有土耳其買主下了一筆3萬件的特大訂單,不過,因為量太大,交件期限短,安德烈擔心趕工會影響品質,最後忍痛放棄了這個大訂單。不過,這也讓他相信自己有開發國際市場的潛能。近來,安德烈頻頻赴大陸尋找商機,他說,只要找到專業的品牌代理商,就可以正式進軍中國大陸市場。

安德烈指出,講到時尚、設計、流行,台灣常常強調要追求「國際化」,好像眼光都一直往外,「可是我常在想,為什麼我們不能成為別人的『國際』呢?」安德烈說,或許是身為原住民的緣故,一直都是「邊緣性的存在」,這反而有個好處就是不太受主流價值的影響,總是勇敢的另闢蹊徑,「台灣原住民有非常豐富、精采的傳統元素,這是我發展自有品牌的核心競爭力。」

安德烈說,一直以來,他的人生觀就是「不錯過任何機會;沒有機會就開創機會」,如此,也就不難理解,為什麼當年那個13歲、只唸了一學期國中的部落小孩,竟然可以一步一步在台北、甚至走向國際,創造出屬於他自己的時尚魔幻舞台,「我要拚、還要更拚!」安德烈說。

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アンドレ・カオのファッションへの道

文・彭蕙仙 写真・荘坤儒

ステージにザ・クランベリーズの物憂い曲と声が柔らかに響く。不思議な服を身に纏ったモデルが緩やかに歩いてくると、会場は形容し難いファンタジックな世界に入り込んだ。新進気鋭のファッションデザイナー高勝忠(アンドレ・カオ)の2009年実践大学ファッションデザイン学科の卒業制作である。インスタレーション、ゴシック、そして最も重要な台湾原住民の要素を融合して生まれた強烈な風格が、観衆の目を奪い、卒業展1位を獲得した。「ショーが終ると、業界のデザイナーとバイヤーが何人も来て、一緒に仕事をさせてほしいと声をかけてきました」この時、アンドレは将来の道を確信したのだった。


台北で映画の看板を描く

「ファッション業界に進むとは思いませんでした」台東パイワン族のアンドレは「何もかも不作為でした」という。家が貧しく、長男のアンドレは中学1年の前期を終えると休学し、台北で映画の看板描きのアルバイトをした。「勉強はしなかったけど、映画はたくさん見ました」見習いから始め、6000元の月給から4000元を家に仕送りした。その後めきめき腕を上げて専門の看板職人になり収入も増えた。だがアンドレは青春期の子どもだった。毎日流行の最先端・西門町にいて、鋭敏な色彩感覚と視覚が鍛えられた。知らぬ間に、ファッション界に進む基礎が作られた。

手描き看板が廃れると共に、アンドレに夢が芽生えた。きちんと専門の訓練を受けたいと思った。苦学して中卒同等資格を取り、復興高校美術科を受験し、後に絵画組を首席で卒業する。その間の作品はほぼすべてコレクションされている。

復興美術科で勉強中、アンドレはデパートでショーウィンドウのディスプレイを担当していた。「美術とビジネス両方のトレーニングになりました。ショーウィンドウはインスタレーションであると共に、購買意欲を刺激するマーケティング機能も果たさねばなりません」この間のトレーニングが後にオリジナルブランドを立ち上げる上で大きく役立ったと彼は考えている。

ファッションデザインの世界へ

兵役を終えると、自分の将来を真剣に考えるようになった。「人生に他の可能性はないのか、問い続けました」もっと自分を充実させたいと思った。復興高校美術科で学んだ基礎をもとにメディアデザイン学科を受験しようとしたが、いざ申し込もうとすると多くのメディア関係学科には夜間部がなく、昼は金を稼がねばならないアンドレは少し失望した。だが、申込の担当者は、ファッションデザイン科を受験したらどうかと勧めてくれた。夜間部があるからである。

勉強できるなら何でもよかった。こうしてファッションデザインの分野に足を踏み入れたのである。最初は続くか心配だったが、間もなく全国Tシャツデザインコンクールに出品するよう先生が皆に呼びかける。思いがけず1位になった。この分野でやってみようと思えた。

復興高校でやっと系統だった美術の勉強を始めたアンドレには、確かにデザインの才能があったようだ。自身はこう解釈していた。「原住民の血の中の何かかもしれません。大自然と集落の生活が、都会の子どもにない視覚と感受性の経験をくれたんです」実践大学での歳月において、アンドレはコンクールを重ねるごとに自己を肯定し、頭角を現わしていった。学生時代にすでに大胆にも商業デザインの依頼を受けている。ビジネスだから報酬があり、クライアントの要求も非常に細かい。「試されるのは本当の力」だという。

オリジナルブランド創設

2009年、紡織業拓展会の全国ファッションデザインコンクールで優勝すると、自分の名前「アンドレ(ANDRE)」でオリジナルブランドを創る決心をする。その後、紡織業拓展会は既製服産業の転換を支援し、オリジナルデザインとブランド確立、そしてビジネスチャンス拡大を目的に西園29ファッションインスティテュート・台北(FIT)を設置するとともに、第1回「西園29 FITデザイナーコンクール」を開催した。著名デザイナーの竇騰璜(Stephanedou)等が市場性、オリジナリティ、国際市場におけるポテンシャル等に基づきデザイナー5名を選出し、アンドレは運よく入選した。「FITに入ると設備や技術サポートが利用できます。紡織業拓展会が設立した三大パターンセンター等も使えるし、専属の工房も持てます」更に大きなサポート、或いはチャレンジと言うべきか、台中勤美・誠品の複合型ショップで、オリジナルブランドを販売できるのである。

ブランド「アンドレ」は消費者と向き合った。「すごく緊張して、オープン前日は深夜までディスプレイにかかっていました」結局、アンドレの商品は勤美誠品で一日で完売する。業界は「脅威の新人」と形容した。「やっと安心しました。自分のデザインがあんなに多くの人に好かれたんです。勇気を持って突き進もうと思いました」

アンドレはかつて台東大武中学一年の前期、全国民主法治漫画コンクールで台東・中学組1位に入った。後期に台東代表として全国大会に参加する資格を得たのだが、貧困のために休学し、チャンスを逃した。以来、アンドレは「もっと大きなコンクールに参加する」夢を抱いていた。

2014年、クバラン族の姫、ブヌン族の「太陽を射る神話」、パイワン族の「陶器の壷から始祖が孵化した伝説」等、原住民の7つの神話伝説をモチーフに抽象柄プリントを作り、個性的な服飾にデザインした。そして台プラ3代目の蔡佳宸(Fanny Tsai)デザインの宸諾(Weng Collection)クリスタルジュエリーとのコラボで「Taipei IN Style(台北魅力展)」の台北ファッション新鋭デザイナー銀賞を受賞した。しかも蔡佳宸が自らアンドレのショーに出て、ルカイ族バラン姫の愛のシリーズを表現し、二人は高い注目を浴びた。2014年台北市長選挙の第一回テレビ討論会では、連勝文夫人の蔡依珊がこのシリーズのシャツとロングタイトスカートを着ていた。鮮やかなプリントが即座に称賛を集めた。

タレントのスタイリング、デザイン

アンドレは、このシリーズのインスピレーションはパイワン族の「陶壷の子」伝説だという。神話の陶器の壷の立体的な形を、抽象的なプリントパターンに変えた。ファッショナブルで個性的な布地を作り、ワンピースやシャツ、スカートに活かした。その後、他の原住民の神話伝説も取り入れ、プリント、ニット、彫刻等の伝統柄から、原住民シンボルシリーズの豊かなプリント生地が生まれた。その後、デザインプリントにアパレルメーカーが注目して制作した商品は、ワンピースやスカート等の服飾からTシャツやバッグなど、幅広い商品とアクセサリに及ぶ。

アンドレのもう一つのデザイン路線は、伝統の中にデザインを精練し、新しいアート手法でシュルレアリスムや未来派の風格を表現し、異なる媒材を用いて、大胆で奇抜、服が千万もの表情をもつようなステージ効果の追求である。機会を得るために、アンドレは自ら著名スタイリスト陳孫華に売り込み、陳孫華の紹介でタレントのコンサートや広告の衣装制作を請け負った。ショウ・ルオ、JJ・リン、ジョリン・ツァイ、ステファニー・スン、タニア・チュア、SHE、フェイス・ヤン等のコンサートの衣装を手がけた。また、2013年の金曲賞で最優秀台湾語歌手を受賞した李婭莎は、アンドレがデザインしたドレスでレッドカーペットを歩き、最も注目を浴びたアーティストとインターネットで高く評価された。

タレントの衣装デザインで、収入が安定し知名度が高まる。だがアンドレが気にかけるのは、やはりブランドの発展である。「タレントのデザインは奇想天外でよく、私の不安な魂を満たしてくれます。でもブランドの市場では話は別です」単なる個人のデザインではなく、ビジネスとマーケティング面の努力と能力が必要だという。国内のデザイナーズブランドを観察したところ、多くがブティック商品として少量を「委託販売」していた。これでは在庫プレッシャーがあると考え、アンドレは国内市場を飛び出す。少量のサンプル生産で、自費で海外の見本市に出展し、受注してから生産するのである。

見本市でビジネスチャンスを探る

大規模な国際見本市に全力で出展する。パリ、ニューヨーク、香港、北京、上海等のファッションウィーク、流行見本市にアンドレの姿が見える。展示で欧州や中東の注文を受ける。トルコのバイヤーから3万点の超大口注文が入った時は、量が多すぎ納期が短く、急ぎの仕事で品質に影響するのを心配して泣く泣く受注を諦めた。だが、自分には国際市場を開発できるポテンシャルがあると確信した。最近は大陸でのビジネスチャンスを探る。専門性の高い代理業者が見つかれば、正式に中国大陸市場に進出するという。

ファッションやデザインというと台湾は「国際化」を叫ぶが、外ばかり見ている。「私たちが余所から見た『国際』にはなれないのでしょうか」原住民だからかいつも「周辺的存在」だったことで、却って主流の価値に左右されずに、勇敢に道を切り開いてきた。「台湾原住民には豊かで素晴しい伝統の要素があります。それが、オリジナルブランド発展のコアコンピタンスです」

「どんな機会も逃さず、機会がなければ作り出す」人生観を持ち続けてきたという。13歳の、中学1年前期までしか行かなかった集落の子どもが台北で一歩一歩、世界に向かって歩き出し、自分のファンタスティックステージを作り出したのも、それならば納得がいく。「もっと頑張って、頑張るんです」アンドレは言った。

A Grand Designer with No Grand Design: Andre Kao’s Fashion Career

Polly Peng /photos courtesy of Chuang Kung-ju /tr. by Phil Newell

Against a background of lazy, hazy music and the soft, warm vocals of the Cranberries, models wearing one unusual outfit after another strut across the stage, while those in the audience suddenly are transported into a psychedelic world that is hard to describe in words. This was the scene in 2009, when then student Andre Kao was displaying his designs at the Graduate Catwalk Show of Shih ­Chien University’s Department of Fashion Design.

Andre’s work on display that day integrated installation art and Goth style with, most importantly of all, aesthetic elements from Taiwan’s indigenous peoples. The powerful visual impact of this combination attracted a great deal of attention from the audience at the venue, and eventually earned Andre the top prize for the catwalk show. “After the show was over, a number of professional clothing designers and buyers rushed over to talk to me, hoping we could work together.” From that moment, Andre was certain about the future path he should follow.


Marquee artist

“In fact, I never ever imagined that I would one day work as a professional in the world of fashion,” says Andre, a Pai­wan Aborigine from Tai­tung County, “I just did what I did, but there was no ‘grand design’ behind it. Everything that has happened has just unfolded.”

Coming from a very poor family, as the eldest son Andre was under an obligation to contribute to the family income. Therefore, during the first semester of his first year in junior high school, he took a leave of absence and headed off to Tai­pei to find a job. He ended up working as a painter for old-fashioned movie billboards. “As a result, the person who I was then had very little book learning, but I had seen a lot of movies.”

However, the business of producing painted movie billboards had long been in decline, and Andre needed some alternatives. In any case, he was already realizing that he had bigger dreams. He decided to get more professional training of a practical nature, but first he had to go through a period of studying hard on his own to acquire an equivalency certification for a junior high school diploma. Then he tested into Fu-Hsin Trade & Arts School, and graduated from its department of drawing and painting with the highest grades in his class. Even more extraordinary is that virtually all of the works he produced while in school were bought up by art collectors.

While still studying at Fu-Hsin, Andre took a job as a window display designer at a department store. “This job gave me simultaneous training in both aesthetics and business, because window display is not just a variation on installation art—it has to have a marketing effect, it has to make consumers want to buy the products they see arranged in the window display.” He says that what he learned during this phase of his life would prove extremely valuable when he later decided to found his own brand.

After completing his compulsory military service, Andre relates, “I began to more seriously consider my future. I was continually asking myself, are there any other possibilities for my life?” He wanted to go back to school and learn more, to build a stronger foundation for himself. Building on what he had studied at Fu-Hsin, he initially aspired to take the exam to enter the Department of Communications Design at Shih Chien. It was only when he arrived at the university to register that he discovered that the Department of Communications Design had no evening classes. For Andre, who needed to work and earn money during the day, this was a real disappointment. However, the person who was handling the registration process suggested to him that he could study clothing design instead, because that department did offer evening classes.

Founding his own brand

In 2009, after receiving a Taiwan Fashion Design Award from the Taiwan Textile Federation, Andre decided to create his own eponymous brand name. When the TTF later established the Fashion Institute of Taipei (FIT) and held its first competition for clothing design, Andre was one of the first cohort of five award winners. “Those of us who became resident designers at FIT got access to all its facilities, equipment, and technical support, including the three sample making centers that TTF set up. We even each got our own workshop.” In addition, TTF set up a collective kiosk in the toney Eslite Bookstore Parklane in Taichung, where the five designers could display and sell their work.

This was the first time that the ANDRE brand actually came face to face with consumers. “I was really anxious, and the night before the kiosk opened I was up all night setting out the display.” The outcome? All his clothing in the Eslite Parklane sold out in one day. People in the fashion business used terms like “overnight hit” and “home run on his first swing” to describe what had happened, but Andre himself says, “It was like taking a tranquilizer. It turned out that after all there really were consumers who liked my clothing, and I reckoned I could put my mind at ease and keep plowing ahead.”

In 2014, building on seven Aboriginal myths and legends (such as the tale of the Ka­va­lan princess, the Bu­nun myth of shooting an arrow into the sun, and the origin story of the Pai­wan people), and giving these stories an artistic and fashion-savvy twist, Andre came up with a series of printed textiles with which to design extremely original clothing. He also put this together with crystal jewelry of the Weng Collection, the brand founded by third-generation Formosa Plastics heir Fanny Tsai. The result won a silver medal for cutting-edge creativity at the Taipei IN Style exhibition.

Couturier to the stars

Andre’s other design line comes from his distillation of design elements from tradition, which are repackaged using novel modes of artistic expression to produce surrealist or futurist styles. Bold and riveting, these modes added a seemingly unlimited palette of expression to his clothing. This approach also has proved to be strikingly effective on the walkway.

In an effort to get even more exposure to the public eye, Andre boldly took the initiative to make contact with the well-known image shaper Chen Sun Hua via Facebook, and under Chen’s guidance Andre began to take on jobs designing celebrities’ attire for performances and advertisements. He has been the costume designer for live concerts for Show Lo, JJ Lin, Jolin Tsai, Stephanie Sun, Tanya Chua, SHE, Yang Nai­wen, and others.

Doing costume design for celebrities provided a stable income as well as fame. But inside Andre’s head there was still the notion that he wanted to develop his own brand name. “Designing for the stars is really rewarding, and you have a lot of room to bring all your skills into play, which really put my insecure soul at ease. But getting a brand into the market is something else altogether.” Andre remarks that this is not just a matter of individual design, but requires putting a lot of time and energy into commerce and marketing.

Andre took a look around at the operational models adopted by designers in Taiwan who already had their own brands. He discovered that the great majority of designer brands followed a strategy of low-volume sales of finished products though boutiques. But he didn’t want to go the route of having to worry about making clothing lines that might or might not sell, while still having to cover the costs of making the outfits and storing them. The method he adopted was to have only very small-scale production of samples, which he then took, at his own expense, to international fashion exhibitions and shows, planning to mass-produce the designs only after receiving orders.

Exhibitionist

So Andre threw himself heart and soul into major international exhibitions. All around the world—Paris, New York, Hong Kong, Beijing, Shanghai—at fashion weeks and trade shows of the latest trends, Andre would be there. Through these exhibitions he received orders from a number of countries in Europe and the Middle East. There was even one enormous order from a Turkish buyer for 30,000 pieces, but Andre worried that rushing to complete such a huge order by the tight deadline requested would affect the quality of the goods, and, very regretfully, had to decline. Nonetheless, it gave him confidence that he had the potential to develop the international market. Recently Andre has traveled often to mainland China looking for business opportunities. As soon as he is able to find an exclusive agent for his brand, he will be able to formally enter the mainland market.

Andre points out that when it comes to fashion, design and trends, people in Taiwan are always emphasizing that they want to pursue “internationalization.” It seems like their aspirations are always directed outward. “But I often think, why can’t we become someone else’s ‘international’? Why can’t it be that they want to learn from us?” It’s an audacious thought. Andre says that it is perhaps because he is an indigenous person, one of those people who has grown up and lived on the margins of society, that he has benefitted from the counterintuitive “advantage” of not being much affected by mainstream values, so he is never afraid to follow an alternative path.

Whether he succeeds or not, there is no doubt that his indigenous heritage will remain at the heart of his creative work. “Taiwan’s indigenous peoples have extraordinarily rich and colorful traditional elements, which is the core competitive feature for the development of my own brand.”

Andre says that his philosophy of life has always been, “Don’t miss any opportunity; if there is no opportunity, then make an opportunity.” This being the case, it is easier to understand how a mere 13-year-old from a small Aboriginal community who had not even completed a single semester of middle school could come to Taipei and from there stride across the globe, constructing a fashion stage of his very own. Andre says: “I want to give it everything I have; I want to come back from the world as a sensation.”

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