「80年代は深圳、90年代は浦東、そして新世紀は中関村」と言われる。一般に、北京は昔から文人や学者、そして身分の高い人々の住む町だと考えられてきたが、21世紀を迎えた今、その北京も企業の発展に力を入れ始め、ナレッジエコノミーによる利益を生みだそうとしている。
北京市の郊外、清華大学や北京大学にほど近い中関村海淀サイエンスパークは、十年前に「電子一条街」として始まり、今では広東の深圳、上海の浦東、陜西の西安と並んで中国の「四大シリコンバレー」に挙げられる。現在、台湾企業の多くが上海周辺に狙いを定め、長江三角州に工場を設置しようとしているが、中関村はすでに外資系企業のマーケティング本部や研究開発センターを最も多く誘致しており、「首都経済」の基礎を固めている。
北京市政府台湾事務弁公室の鄧培徳主任は、電子技術者の出身で、60年代にはすでに半導体を研究していたため、中国の産業発展における北京の位置付けをはっきりと認識している。
「北京の強みは、学術レベルの高さと人材の多さですから、イノベーションや研究開発の基地にすることができるのです」と鄧培徳主任は言う。中関村海淀パークだけで56の大学や短大があり、そのうちの23校は国家レベルの「重点大学」だ。ここからは毎年1万3000人以上の大学院修了者が就職市場に出ていき、その数は全台湾の2倍に上る。また年間2600人の博士が生まれており、質の高い人材を企業に提供している。
大学だけではない。海淀地区には中国科学院をはじめとする研究機関が200以上もあり、37万人に上る学者や技術者が年間7000件以上の特許を申請している。この数も中国一だ。こうした「金の頭脳」の価値を発揮するために、北京市ではしばしば各種のテクノロジー交易会を催している。技術市場における契約件数は年間2万以上に上り、取引額は80億人民元(台湾ドルで320億)以上になる。
北京は人材も多いが規則も多く、かつて裏口取引に長けていると言われた台湾企業は北京を敬遠してきた。しかし、台湾の電機電子工業同業組合が最近発表した報告書によると、北京をはじめ、大連、天津、青島などの「環渤海地域」は、台湾企業から「投資リスクの最も低い」地域と見られている。広東の深圳や東莞などでは治安が悪化し、投資に関わるトラブルも多いのに比べると、北京はきちんとしている分、安全なのである。
「『大西北開発』政策が実施されれば、北京から西安までが一つに結ばれます」と語る鄧培徳氏は、ロシアや東欧の発展が始まれば、中国の大西北地域と一つにつながり、東西が呼応するようになると言う。そして10年も待たないうちに「環渤海地域が珠江三角州や長江三角州に取って代り、台湾企業が最も集中するホットなエリアになるでしょう」と言う。
北京では外国企業の誘致を始めるのが遅かった分、大きな優遇措置が採られている。北京が最も積極的に誘致を進めているウエハー工場の場合、北京市の劉淇市長は、北京にIC工場を設置すれば、国の定める税の「二免三減半」だけでなく、「地租ゼロ」の優遇も受けられると発表した。会社が株を中国で上場し、資産評価が必要になった時に、当時の地価で北京市に納めればよいと言うのである。また企業がリスクを恐れて二の足を踏んだら、北京市は資金の15パーセントを投資し、共同でリスクを負担するという。
ソフト産業の発展を奨励するために、中国の情報産業省は「ソフト関連企業従業員の個人所得税免除」などの構想も打ち出しているが、北京市政府はさらに先を行って、ソフト関連企業の管理職が乗用車や家を購入する時には「奨励金」を提供するとしている。このように、人材を引きとめるために打ち出されるさまざまな奇妙な政策も、研究開発を主とする北京の外資系企業にとっては一つのメリットだ。
北京では台湾企業による投資の歴史も長く、今では1700社余りがあり、数の上では香港とアメリカに次ぐ。だが投資額の面では13億人民元で6位、外資全体の4パーセントに過ぎない。ただ、実際の投資額はこれより大きいと見られる。バージン諸島やケーマン諸島を経て間接投資される「隠れた台湾企業」を加えれば、台湾からの投資額は北京市の外資総額の15パーセントに達するはずだと鄧培徳主任は言う。
北京にある1700の台湾企業の産業類型を見ると、その大多数が医薬、紡織、食品、貿易などの従来型の商工業で、オーナー社長が一人で活動しているものが多く、大規模なハイテク業者は数えるほどしかない。北方に位置する北京は冬は氷に閉ざされ、南国台湾の人々にとってはやはり馴染みにくいのである。また、北京は地価や人件費も高く、大量生産の製造業にはふさわしくなく、北京投資にふさわしいマーケティングや研究開発などは、台湾企業にとってはあまり得意な分野ではないのである。ましてや、ここにはコンパック、マイクロソフト、インテルなどの国際企業が投資しており、さらに北京大学の方正(ファウンダー)や清華大学の紫光(ユニスプレンダー)、そして聯想電脳(レジェンド)などのナショナルブランドが根を張っているため、台湾企業の空間は大きいとは言えない。
それでも、資金力と国際的視野を持つ台湾の少数のハイテク企業は北京に入り込み「レッド・チャイナ」の心臓地帯で着実に勢力を広げている。
北京の首都空港を後にし、北四環高速道路を一路中関村の海淀パークへ向うと、道路脇に立つ「威盛の情、中国の芯」という大型の看板が目に入り、またエイサーの明碁、宏碁といった看板も並んでいる。
2年前に北京に会社を設立したばかりの威盛電子(VIAテクノロジー)も、ここの人材と市場に魅力を感じて投資した。VIAの北京研究開発部門は1年前に運営が始まった。ここでは2年以内に250人の研究開発スタッフを集めて基礎訓練を行ない、将来的には中国で2000人規模の研究開発グループを確立し、インテルの北京研究所と肩を並べることを目標としている。
しかし、運営開始から1年が経ったが、北京VIAの研究スタッフはまだ50人余りに過ぎない。VIA中国区管理責任者の徐滔さんによると、欧米企業の中国支部の多くは北京に置かれているため競争が激しく、台湾企業が人材を確保するのは難しいと言う。また北京の一流大学の学生の間ではアメリカへ行くのが流行しているため、予期したほど人材が供給されないそうだ。しかし徐滔さんは、すでに北京の人材市場を深く理解している。どの大学のどの教授が、どのような学生を率いて何を研究しているかなどを理解し、卒業前に学園内から着手した方が成功率が高いのだと言う。
93年から北京に駐在している金遠見電脳(グローバル・ビュー)のゼネラルマネージャー周至元さんは、北京でのヘッドハンティングの経験が豊富だ。その話によると、台湾にも情報関係の人材は少なくないが、その大部分は台湾セミコンダクターやユナイテッド・マイクロエレクトロニクス社に取られてしまい、電子辞書を生産するグローバル・ビューのような会社は大勢のプログラマーを必要とするため、外に人材を求めなければならない。そこで世界を見渡すと、コンピュータソフトの人材が最も多いのはインドを除くと中国の北京となるのである。
早くから中国に駐在してきた周至元さんの印象では、90年代初期の北京は不況の真っ只中で、外国企業の影も見られなかったし、北京大学や清華大学などでもハイテクの雰囲気は感じられなかったと言う。80年代の終りに清華大学を卒業した社員によると、当時は学校のコンピュータが足りず、大学に通っていた5年間でコンピュータに向った時間は100時間しかなかったと言う。学生はプログラムを紙に書き、教員もそれを目で読んで機能するかどうか判断していた。この社員は、周至元さんが台湾から持っていった普通のコンピュータブックを、宝物のように大切にしていたという。
当時周さんは「大陸には人材はあるが、資金も情報も経験もない。だが、台湾にはそれがある」と思い、相互に補完できれば素晴らしいと考えた。そして数理の基礎を持つ一流の人材を集め、一から訓練したのである。
周至元さんによると、かつて大陸は両極端の人材を重視していた。少数の極めて優れた人材は国防のための技術者として積極的に養成され、それ以外の絶対多数の人材は下層の労働者とされたため、中間レベルの人材が非常に不足していた。それがここ数年、政策が逆転し、政府も企業が必要とする中上級の人材を大量に育成しはじめたのである。
中国全土で、95年の大学入学者数80万人だったが、昨年はそれが120万人になり、修士も大幅に増加した。そのため、外国企業が次々と投資しているが、人件費はまだ合理的な範囲に収まっている。現在、北京の外資系企業で働く研究開発スタッフの1ヶ月の給与は5000人民元(約2万台湾ドル)で、台湾の半額に満たない。
しかし、人材は多いが採用はスムーズには行かない。国の規定によって、各省から北京の大学に進学した学生は、卒業後は出身地に戻らなければならず、国営企業以外の一般企業が、北京に戸籍を持たない者を雇うことは非常に難しいのである。そのため、北京市民という戸籍のヤミ価格が10万人民元まで上がったこともあるという。
「会社に応募してくる人の大部分が地方出身者です。彼らはまず『戸籍の問題は何とかなるでしょうか』と聞いて、駄目だと分かると帰ってしまいます」グローバル・ビューも他の企業と同様、優秀な人材を目の当たりにしながら採用できないという経験をしてきた。そのため、1ランク下げて国営企業からの転職者を採用することになるが、国営企業にいた人は、やはり公務員的な習慣が抜けず、少なからぬ困難をもたらす。
昨年から北京では64の企業に対して、その社員が北京の戸籍を申請することを許可した。これらの企業の大部分はファウンダーやレジェンドといった中国地元の民間企業で、台湾企業として唯一許可されたのはグローバル・ビューだった。同社はこのような「栄誉ある」待遇を得て、広く優秀な人材を採用することが可能になり、長年の苦労が解決されようとしている。
同じく10年前に北京に進出した工業用コンピュータのトップ企業、研華(アドバンテック)のゼネラルマネージャーである何春盛さんは、北京のエンジニアの質は台湾に劣らないと指摘する。ただ、北京のハイテク技術者には台湾の軍隊式管理は通用せず、また金銭を誘因にしても効果は上がらないと言う。「彼らを尊重し、共に文化やビジョン、人生設計などについて語り合うことです」と、かつて我が国で経営賞を受賞した何春盛さんは言う。
北京の人材は一流とはいえ、多くの面で台湾のベテランマネージャーによる指導が必要だ。しかし残念なことに、現在我が国の政府は、大陸のハイテク人材の台湾での訓練期間を1ヶ月と定めており、期間が短すぎるため、企業には大きなメリットはない。
周至元さんによると、大陸では改革開放政策が採られて20年になるが、それでも資本主義の精神とは隔たりがあり、いま一つ体得できていないと言う。北京の社員は今でも定刻通りに退社し、残業している人は「資本家の手先」だと笑われるのである。
「北京の社員を台湾に1年間滞在させ、台湾のハイテクパークでは24時間の戦闘態勢で働き続けているのを見せれば、業績向上に大いに役立つはずです」と周至元さんは言う。
北京と台北は、台湾海峡両岸の人材競争の縮図だ。VIAで中国地区を管轄する徐キハさんは、台湾は北京を3〜5年分はリードしていると見ている。台湾にはベテラン研究員が多く、商品化の経験も豊富で、情報の流れが速く、国際交流も多い。これらはすべて長期的な蓄積によるものなのである。
また、研究開発には奇想天外な発想が必要だが、こうした発想は自由で多様な雰囲気の中から生まれる。しかし中国大陸は一党専制で、ニュースも映画も政治も宗教も、すべて厳しくコントロールされており、北京ではそれが特に顕著だ。
徐滔さんの予想では、海外へ留学した人々が数年後に大量に大陸へ戻ってきて、最先端の技術と人脈をもって創業した時に、台湾企業は真の脅威にさらされる。大陸のエリートによる創業を促すために台湾の普訊科技やアメリカのベンチャーキャピタルが昨年5月に「京台科交会」を開き、北京の中関村の新企業を投資対象とした中華普訊ベンチャーキャピタル基金を設立した。北京で創業が盛んになるのを見て、誰もが将来のファウンダーや紫光のような金の卵を生む企業に投資したいと考えている。
台湾企業にとって北京は人材だけでなく、市場の面でも魅力があり、早くから北京に進出したアドバンテックやグローバル・ビューは、市場開拓の面でも大きな成果を挙げている。95年当時、大陸の電子辞書は1000人民元以上の高価な輸入品しかなく、安い商品がまったくなかったため、グローバル・ビューは高級品の8割の機能を持ち300元以下で買える電子辞書「文曲星」の供給を開始した。この低価格戦略が成功し、文曲星は昨年大陸で300万台を売ったのである。この数は台湾市場の売上の6倍以上で、大陸市場の5割以上を占めている。
VIAも低価格のパソコンを切り口として、同社の新製品C-3 CPUを売り込んできた。
30代前半でVIAアジア太平洋地区のマーケティングディレクターを務める鄭永健さんによると、ここ数年大陸では「科学教育による興国」という政策を推進していて、全国の小中学校だけで年間200万台以上のコンピュータを購入することになっている。しかし教育部門の経費は少なく、価格こそが最重要ポイントとなる。コンピュータの中で最も高価なのはCPUだが、VIAのC-3は低価格で機能が安定しているという点をアピールし、大きな売上が見込まれているという。
価格戦略の他にVIAは民族的感情にも訴え、同社の「中国の芯」というスローガンはすでに北京で広く知られている。確かにVIAは華人企業の中で唯一CPUを製造できる会社なので、中国の芯という表現を使うことができる。
「中国の情報産業は生産も市場規模も、すでに世界のトップ3に入っているのに、なぜ最も重要な部品を外国企業に握らせておくのか」という同社の主張に、さらに中国が進める「ナショナルブランド」推進策がマッチするかどうかは分らない。だが、アジアのインテルを目指すVIAと本物のインテルの北京での競争は白熱化しており、IT業界でも大きく注目されている。
マーケティングの面でも台湾と中国はずいぶん違う。
周至元さんによると、グローバル・ビューの電子辞書は台湾では「哈電族」という名で流行感覚を前面に打ち出し、頻繁にモデルチェンジして台湾市場に合せている。しかし大陸の「文曲星」の市場では4〜5年前の古い製品が今でも年間10万台以上売れているのである。
大陸市場は深く大きく、巨大な水甕のようだと周さんは言う。長い時間火にかけなければ熱くならないが、一度熱くなれば冷めにくいのである。また情報の少ない巨大な市場であるため、地方では各ブランドの製品が揃うことはなく、消費者は評判で判断する。評判がよく、ブランド名が知られているという点が「文曲星」の強さなのである。
大陸市場の大きさは魅力だが、政治的規制の厳しい北京では、周至元さんも慎重に取り組んでいる。電子辞書の場合、その内容である単語の解説や歴史年表の中身など、どれも政治的に敏感な部分に触れる可能性があるため、専門家に慎重に判断してもらい、大陸、香港、台湾の3地域で別々のバージョンを出している。この点でも北京はソフト関係の人材が豊富なことが大きな力になっている。このような政治的に敏感な部分で失敗し、大陸政府からブラックリストに入れられた台湾企業もあるそうだ。
人材が豊富で市場も大きい北京は、いつか台北に取って代り、台湾企業が集中する土地となるのだろうか。特にVIAのようなパワーハウスが重心を大陸に移した場合、台湾にはどのような影響が出るのだろう。
「それは心配する必要はありません」と言うのは鄭永健さんだ。彼は93年にVIAの台北新店の本部に入社して以来、百人に満たない小さな会社が1500人の今日の規模になるまで見てきたが、台湾での拡張の歩みが止ったことはないと言う。「いかなる組織も、決定権者に従うものですから」と語る鄭永健さんは、決定権者の家が台湾にある限り、研究開発の重心もそこにあり続けると言う。
VIAでは会社の急速な成長に対応するために、さまざまな資源を有効活用している。ここ2年の間に同社はアメリカのCPUとグラフィック・チップのメーカーを買収し、アメリカにこれらの研究開発センターを設置した。台湾は、今後も主流のチップセットの本拠地とし、北京は将来的に新しい通信とグラフィックスのチップの開発基地としていく。台湾、中国大陸、アメリカの三ヶ所のベースは相互に支援しあうという関係で、互いを食い合うものではない。
インテルや揚智(エイサー・ラボラトリーズ)など多くの企業が北京に拠点を置くようになれば、その注文を受けるためにウエハー工場も大陸に移ることになるだろう。しかし、まだそれは先のことだ。「8インチウエハーの技術は大陸へ出してもかまいませんが、メインとなる12インチの方は当然国内に残すことになります」と語る鄭永健さんは、台湾企業の心は常に台湾を見ていると言う。国内の状況が悪化してから慌てて大陸へ進出したり、休業に追い込まれたりする前に、今は台湾企業にも大陸で自由に布陣させ、その利益を台湾に還元させる方がいいと鄭さんは言う。
台湾企業の大陸での奮闘を振り返ると、深圳での加工輸出から、蘇州でのハイテク生産基地展開へと進み、さらに北上して、ついに北京で世界的な大企業と競争するようになった。これは人材と技術力の競争だ。台湾企業が、過去のOEM生産から抜け出せるかどうかは、この戦いにかかっていると言えるだろう。
中関村海淀パークの宝は北京大学と清華大学だ。ここの人材の半分を支える清華大学は、中関村に拠点を置く各企業のCEOを数多く生み出している。写真は北京大学だ。
かつて中華民国でマネジメント賞を受賞し、今は北京アドバンテック(研華)のGMを務める何春盛さんは、今日台湾企業が中国で人材を養成し、産業をグレードアップできるのは非常に意義のあることだと考えている。
北京の街を歩くと、歴史ある古都と21世紀とを結び付けようとする狙いが見て取れ
グローバル・ビュー(遠見科技)の周至元さんは、93年から北京に駐在している。進出の時期が早く、戦略が正しかったからこそ同社の製品は中国大陸で大きなシェアを獲得している。
メーデーの長期休暇、中国の億単位の人々は帰省や旅行で東西南北を行き交う。紫禁城は人であふれ、北京のオリンピック誘致を支持する署名活動にも多くの人が参加した。
VIAテクノロジーで中国地区を担当し、北京での研究開発スタッフの採用と育成を行なっている徐さんは、台湾海峡両岸の人材競争において、台湾は数年分リードしていると考えている。
アジアのインテルを目指すVIAテクノロジー(威盛電子)は、近年積極的に中国に進出している。「威盛の情、中国の芯」という同社のキャッチフレーズは、北京の人々にも浸透している。
急速な市場経済化が進む中国では、貧富の差も日増しに拡大している。写真は、強い日差しの中を三輪車で行く清掃員だ。