用音符譜寫永恆

眷戀故鄉的音樂家──金希文
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2018 / 6月

文‧李珊瑋 圖‧林旻萱


第20屆國家文藝獎得主——音樂家金希文,18歲時,由僑居地日本赴美,一度想要走不同的路徑,卻在心靈的召喚下,旋即回歸上天賜予的天賦。用勤奮延展創作的能量,用使命成就永世的樂章。

在音樂世家成長的金希文,以多面向的創作著稱,不僅是現今國際現代樂派重要的作曲家之一,更勇於融入不同的元素,永無止境的嘗試,探討生命的原創。最難能可貴的是不忘初衷,少小離鄉,卻從未切斷與故里的命脈。把對故鄉的依戀,化為傳承的執著,在寶島繁衍茁壯。

 


構思生命的樂章

「創作,必然要歷經痛苦,才能得到甜美的果實。」金希文沈浸在心靈的激盪中,用喜悅的心,品味生產的陣痛。身為作曲家,金希文的腦海中,永遠都有源源不絕的音符在舞動。那種充塞在胸臆間,不吐不快的悸動,自然而然的由指尖流瀉而出,成就即興的永恆。

「作曲的源頭,可以回溯到我剛到日本的那一年。」金希文優雅地坐在鋼琴前,雙眼微閉,嘴角上揚,輕鬆自在地彈奏出流暢優美的旋律。國小剛畢業,金希文舉家搬遷到日本,不但沒有朋友,語言更是一大障礙,當時幼小心靈的唯一慰藉,就是音樂。父親是學聲樂的,也教授鋼琴,母親和弟妹也都能彈琴,弟弟還學小提琴,金希文就在如此音樂氛圍中成長。

金希文從5歲開始彈鋼琴,國小五、六年級時,更每週由斗六搭火車到台南,跟隨陳美滿老師習琴。從未間斷的學習歷程,卻因剛到日本時,家裡沒有鋼琴,而被迫中斷。「那時放學後,我總是留在學校,因為才有鋼琴可以彈。」孤寂無助的苦悶,像一堵無形的高牆,禁錮著金希文,讓他瀕臨窒息。陌生文化的衝擊,加上對故鄉和友人的思念,唯有借助五線譜中隱形的翅膀,釋放苦悶的靈魂。黃昏的夕陽中,一首首自由創作的即興曲,陪伴著金希文走出鬱悶,也啟迪出譜曲的基因。

在信仰中找到真誠

「我經常會獨自沈思。」在金希文的領悟中,每一個人都是一個孤單的個體,所有的悲歡離合,喜怒哀樂,都要由自我承受。初中三年級時,早熟的他,開始探究存活的哲理。「當我們出生時,就注定有一天會離開人世,既然死亡是必然的,我們為什麼要辛苦的活著,意義在那裡?」當時在日本橫濱山下町,中華街上的華僑教會中,金希文認識了耶穌基督,也在貝牧師和師母的身上,看見生命的意義。

「他們是我最敬佩的人之一,在他們的身上,我看到人性的光輝。」貝師母是白俄羅斯人,在21歲時,隻身到中國傳教,認識了貝牧師。「我好佩服貝師母的勇氣。」對比金希文年少時的惶惑無助,年輕的貝師母,卻有著堅毅的信心。教會中青年團契的歸屬和互助,讓金希文獲得恩典,喜悅重生。「一年後,我受洗成為基督徒。」信仰的力量,讓金希文自此不再孤寂徬徨。

「當時中華街上充斥著互鬥和糾結。」年幼的他,已然見證著生活的無奈。但是在陰暗的夾縫中,貝牧師和師母讓金希文觀照到人性的光明面。「他們總是像和煦的太陽,傳送溫暖。」真誠的笑容、細膩的關愛、無私的奉獻,以及正向的人生觀,引領金希文走出幽暗蔭谷。喜樂取代悲愴,福杯滿溢心靈。

高二立志,學成返鄉

「高二時,我就立下心願,學成後就要返鄉。」甘願放棄優良的音樂環境,簡直讓人不可思議。「我只是實踐對自己的諾言。」少小離鄉的金希文,面對眾人的勸阻,無動於衷。1988年12月27日,在他拿到博士學位後一個月,和妻小義無反顧地回到台灣。

「我毫不後悔當時的選擇。」經歷了30年,金希文依舊執著對這片土地的眷戀與熱愛。「回到台灣,讓我感到安定。」那種對故土的歸屬感,強烈牽引著金希文。「我要像貝牧師和師母一樣,把一生奉獻給這塊土地。」秉持這份純真無私的愛,金希文投入教育,作育英才;帶領樂團,傳承深耕。更汲取故鄉的養份,孕育出多元的創作。

音符寫詩,揮灑奔騰

「當時正是台灣音樂起飛的年代。」金希文歡喜地躬逢其盛,展翅遨翔。其實早在他返台之前,擅長用音符寫詩的創作特質,已受到國際矚目。一曲曲交響詩,為樂壇注入一股清流。「詩,是啟動我創作,重要的靈感之一。」優美的意象,錯落的排列,抑揚頓挫的韻律,在金希文眼中,都是跳動的音符,優美的旋律。

「追求那種像電光火石般,瞬間迸發的力道。」結合人聲與大型管絃樂的特色曲風,讓金希文純熟運用西方管弦樂法的天賦,在一次又一次的突破中,展露鋒芒。「每一個時期都是值得珍惜的,當初的稚嫩也許不盡完美,但是現在再也回不去了。」金希文拿起鋼琴上厚重的樂譜,在音符間回憶起漫長的來時路。從孕育到誕生,每一件創作,都是嘔心瀝血的成果,在光陰的醞釀下,成就品味。無論是《晨野》交響詩,還是《第三號交響曲:台灣》,都有它當下存在的意義。

喜樂的心,永不枯竭

捧著熱騰騰的第20屆國家文藝獎獎座,像是戮力一甲子的厚禮,金希文滿心喜悅與感恩。除了父母、師長、委託人和知音們,更感謝放下自我,永遠在幕後默默支持他的妻子。這個象徵國內藝文界最高榮譽的獎項,是榮耀,也是責任。

金希文認為「作曲家就像開墾者,要在一片虛無中先行。」必然要有開荊闢棘的毅力,才能迎來璀璨的繽紛。多年來,每年的寒暑假,他習於在山林溪谷間踽踽獨行,在空靈中聆聽天地;風雲幻化中,靈感扶搖直上,困局迎刃而解。

他更在信仰中找到企盼,擔任音契合唱管絃樂團指揮和音樂總監近30年,無怨無悔地投入金錢、時間和精力,創作出無數真誠的歌誦,恩慈的詠嘆。撥動愛樂者的心弦,吟唱心靈的跫音,徜徉在天籟裡,渾然忘我。

天分,靠努力展現

自小受到天才的褒揚,金希文卻認知「天才是長時間的努力,是承受痛苦的能力。」他把一切的榮耀歸諸信仰的神,「人的能力不足,唯有倚靠上帝的幫助,信仰是我永不止息的動能。」

「我每天最少都要花8到9個小時作曲。」沉浸在工作室裡,金希文數十年如一日,專注地「孵豆芽」。他習慣手寫譜曲,像是把溫度刻印在紙上。「必然要耐得住孤獨。」創作的歷程,往往都是艱辛的煎熬,要能用喜樂的心,享受這份枯燥。「我在創作時,經常一個月不和任何人說話。」,至今創作超過上百首交響詩、清唱劇、室內樂、獨奏曲……,動心忍性,才能成就輝煌。

差點兒和博士擦肩而過的金希文,感念伊士曼音樂學院(Eastman School of Music)嚴謹的教學,成就他沉穩的功力。「別人都只考兩次就通過了,但是我的博士學位,卻是在教授的寬允下,考了3次。而且每次都要相隔一年,才能再次應試。」這項重大的挫折,讓金希文正視作曲的嚴肅性,不僅要具備創作的天分,更要有廣博堅實的理論。

在師大任教的金希文,平實的告訴學生,一定要對自我深切評估,「作曲是一條孤獨又艱苦的路,要有人委託,才能存活,否則很難維生。」唯有立定志向,才能無畏險阻。「作曲家必須要具備紮實的古典音樂基礎,最少要熟稔一種樂器,最好是鋼琴。」

「天分是可遇不可求的。很多時候,辛苦了半天,不見得會有成果。」雖然殘酷,卻是不爭的事實。金希文經常勉勵學生,作曲不是唯一的選擇,唯有能在其中獲得喜樂,才是適合走的路。

追求極致是作曲家的天命,每件作品,都必須有創新的深刻內涵。他認為音樂是一種普世的美,得以穿越時空,在歷史的洪流中淬鍊沉澱,靜候美的昇華。唯有聆賞者沉醉於無法抗拒的感動,激發心靈的共鳴,才能永世流傳。

日出台灣,賜福永遠

馬勒說:「最重要的部分,無法寫在樂譜上。」金希文指著作曲的詮釋,「這只能是誘發。」就像海上的冰山,那看不見的巨大底層,需要用心領會。「音樂其實是在描述情感。」因為心中有愛,才能讓聽眾感動。

膾炙人口的《日出台灣》,是金希文關懷台灣系列組曲中的一首,譜出了他對故鄉濃郁的孺慕和真情。這首歌唱管絃樂曲的詞,是金希文太太盧佳芬(筆名:耶引)用台語創作的詩句。寫出了金希文對這片深愛的土地,真情的告白。

「是真情寫乎阮,美麗的心懷;

這誰人疼惜的台灣;

日出光照台灣,賜福直到永遠。」

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音符で永遠の楽章を紡ぐ

文・李珊瑋 写真・林旻萱

第20回国家文芸賞の受賞者、作曲家の金希文は、18歳の時に居住地日本からアメリカに向った。一度は異なる道を選ぶが、魂の呼びかけから、天から与えられた才を活かす道に戻り、永遠の楽章を創作することを己の使命としたのである。

音楽一家に育った金希文は、多方面の創作で知られ、現代音楽の重要な作曲家の一人であり、異なった要素を取り込みながら創作を試み、生の根源を探求している。さらに得難いのは、若くして故郷を離れたが、初心を忘れず、故郷との絆を断ち切らなかったことである。故郷への思いは、音楽の継承への堅持となり、この地に根を下ろし、繁栄していくであろう。

 


生を構想する音楽

「苦悩を乗り越えないと創作の甘い果実は得られません」と、金希文は揺れ動く魂の中、喜びと共に生みの苦しみを味わう。作曲家としての金希文の中には次々と音符が舞い降りてくる。胸の奥底に溢れ出て、湧き上がろうとする脈動が、自然と指先から流れ出し、永遠の即興となる。

「作曲の始まりは、日本に赴いた年にまで遡ります」と言いつつ、金希文は優雅にピアノの前に座り、両眼を閉じて、かすかに微笑みながら、自在に優美な旋律を弾き出した。小学校を卒業すると、一家を挙げて日本に転居し、友達もなく、言葉も不自由な幼い心の唯一の慰めが音楽だった。父は声楽家で、ピアノも教えていたし、母や弟妹もピアノを弾いていて、弟はバイオリンも習っていた。金希文はこのような音楽環境の中で成長していったのである。

5歳からピアノを習い始めた金希文は、小学校高学年になると、毎週、鉄道で斗六から台南まで通い、ジュリアード音楽院を卒業した陳美満先生にピアノを習った。ずっと音楽を学び続けていたのに、日本に来て間もなくは家にピアノがなかったため中断するしかなかった。「当時は放課後に残って学校のピアノを弾きました」と話す。孤独な思いは高い壁に閉じ込められたように金希文を苦しめ、息が詰まりそうだった。慣れないカルチャーショックに加え、故郷や友人への思いに苦しむ魂を、五線譜に潜む翼に載せて解き放った。黄昏時に、自由に創作した即興曲が金希文を苦悩から連れ出し、作曲の才能を導き出した。

信仰に真実を見出す

しばしば沈思黙考していた早熟の金希文は、中学3年生の時、存在の哲理を考え始めた。「生まれた時に、いつかこの世を去ると決まっています。死が必然なら、苦しみながら生きる意義はどこにあるのかと思いました」と話す。当時、横浜の山下町、中華街にあった華僑教会において、金希文はキリスト教に出会い、教えを受けたベスト牧師とその夫人から生の意義を教えられた。

「お二人は最も敬愛する人たちです。そこに人間性の輝きを見出しました」と語る。牧師夫人はベラルーシの出身で、21歳の時に布教のため単身中国を訪れ、ベスト牧師と知り合った。迷い定まらぬ悩みを抱えた金希文少年は、夫人の堅い信仰心と勇気に感服したという。教会の青年団に帰属し、助け合うことで、金希文は恩寵と再生の喜びを感じたのである。一年後に洗礼を受け、信仰の力によって孤独から抜け出した。

当時、中華街は抗争に明け暮れ、若かった金希文は、生活のやり切れなさを見つめていた。そんな暗闇の中で、ベスト牧師と夫人は人間性の明るい面を見せてくれた。その誠実な笑顔と細やかな思いやりや、無私の奉仕と前向きな人生観など、温かい太陽のような温もりが、金希文を暗い谷から引き出してくれた。

高校二年で故郷に戻る決意

「高2の時、いつか学位を取ったら故郷に戻ると決めていました」と言うが、優れた音楽環境を捨てるという決意は、理解を得られるものではなかった。しかし、「かつての決意を実施するだけです」と言う通り、幼くして故郷を離れた金希文は、周囲の反対にも心を動かされなかった。1988年12月27日、博士号を受けてから1カ月後に、妻子を連れて台湾に戻った。

音符で詩を綴る

それから30年を経た今も、当時の選択を後悔していないと、金希文はこの土地への愛着を語る。故郷のへの帰属感が、金希文を強く導いてきた。「ベスト牧師夫妻のように、一生をこの土地に捧げたいのです」と、純真な故郷への愛から、金希文は教育に力を注ぎ、才能を育て、楽団を率いてきた。また故郷からインスピレーションを得て、多様な創作を試みてもいる。

その頃の台湾は、音楽が盛んになり始めたばかりだったが、金希文はその興隆に向う時期に大きく羽ばたこうとしていた。実際、彼は台湾に戻る前から、音符で詩を綴る作曲家として国際的に知られてきた。その手になる交響詩は、楽壇に新しい清流を注入していた。優美なイメージや、リズム感ある言葉の配列を有する詩は、金希文にとって優美な旋律を奏でる音符であり、創作のインスピレーションを掻き立てるものだった。

詩が有する電光石火のような瞬発力を求めながら、声楽と管弦楽を組み合せた作曲の様式と、西洋の管弦楽法を使いこなす才能とで、次から次へと新しいスタイルを作り上げていった。「どの時期の作品も、それぞれに大切で、初期の稚拙な作品は完璧とはいかなくとも、今では作れないものです」と、ピアノの上の分厚い楽譜を手に取る。その音符は、来し方のあれこれを思い出させる。構想から完成まで、精根傾けた成果であり、時の流れに連れて磨かれていった。

汲めども尽きない創作の泉

第20回国家文芸賞のトロフィーを得た金希文は両親や師事した人々、作曲の依頼者から、その音楽ファンに至るまで感謝の念を捧げる。また常に自分を後回しにして、背後で黙々と支えてくれた妻にも感謝を忘れない。台湾の芸術文化界では最高の栄誉といわれる賞を受賞したが、それは栄誉と共に責任もである。

「作曲家は開拓者のように、前に広がる虚無を進むものです」と金希文は思う。荒れ地を切り開く強い意志がなければ、燦爛とした成果は得られないだろう。毎年夏と冬の休みに、金希文は単独で山林渓谷に入り、天地の声を聴いている。風や雲の中、インスピレーションが湧きあがり、行き詰った心を解き放つ。

彼は信仰の中から希望を見出し、音契合唱管弦楽団の指揮と音楽監督を30年近く務めてきた。経済面でも、時間や体力も投入し、数多くの歌曲を生み出した。その音は、音楽を愛する者の琴線に触れ、魂の足音を謳うものだった。

天才も努力の結果

幼いころから天賦の才を認められた金希文であるが、天賦の才は長い時間の努力、苦痛に耐えられる能力だと知っている。すべての栄誉は信仰する主から賜ったもので「人の能力には限りがあり、主の御心にかかっています。信仰が私の尽きせぬエネルギーの源です」と言う。

毎日8から9時間を、作曲のため仕事部屋に籠って過ごす生活は、十年一日の如きである。創作においては孤独に耐えるしかなく、その孤独の試練さえも楽しみとする気持ちで、味気ない退屈に遊ぶのである。創作に入ると、1カ月にもわたって誰とも話すこともないそうである。

金希文はまた、しっかりした基礎を築いてくれたイーストマン音楽学校における厳格な教育にも感謝している。実は、博士号を落第となるところだったそうで「ほかの学生は二回の試験で合格するのですが、私の博士号試験は教授が3回受けることを認めてくれました。しかし、次の試験まで1年待たなければなりませんでした」と言う。この重大な試練があって、金希文は厳格な作曲法に注意を向けるようになった。作曲には才能も必要だが、幅広く堅実な理論的裏付けはもっと必要だったのである。

現在、師範大学で教壇に立つ金希文は、平素から学生に「作曲は孤独な苦難の道で、作曲を依頼する人がいなければ、生計を立てるのも難しいものです」と、強い意志で困難に向き合わなければならず、また「作曲家はしっかりしたクラシックの基礎がなければならず、少なくとも1種類以上の楽器、できればピアノに精通している必要があります」と教えている。

最高を求めるのが作曲家の天命であり、作品はすべて独創的な深い意義を有していなければならない。聞くものを感動に引き込み、心の奥底からの共鳴を惹きだせれば、その曲は長く受け継がれるだろう。

「日出台湾」、永遠の恩寵

オーストリアの作曲家マーラーは「一番重要な部分は楽譜には書けない」と書いた。氷山が海面に出るのはごく一部で、巨大な海面下の層は心で会得するしかない。「音楽が表現するのは感情」と金希文は言う。心に愛がなければ聞く者を感動させることはできないからである。

一般に知られた作品「日出台湾」は、金希文の台湾シリーズ組曲の一曲で、故郷に対する深い思いが込められている。この合唱付き交響曲の歌詞は、金希文夫人の盧佳芬の台湾語の詩で、金希文が心から愛するこの土地に対する心情の告白なのである。

これは私たちの心の声、美しい気持ち

美しい台湾を思うのは誰

日の出が台湾を照らし、永遠の恩寵を齎す

Eternity Expressed in Music

Lee Shan Wei /photos courtesy of Lin Min-hsuan /tr. by Phil Newell

Gordon Shi-wen Chin, winner of a 2018 National Award of Art, is widely known for his multifaceted compositions. He is not only one of the most important international modern-school composers, he has courageously introduced different elements into his work, and is constantly trying new things, exploring originality in life.

Most remarkable is that he has not forgotten his original aspira­tions. Though he left his native land when he was very young, he never cut the lifeline with his old hometown. He has transformed his love for his native place into a dedication to passing along Taiwanese culture and being robustly productive in Taiwan.

 


 

Composing a movement of life

“To create, you inevitably must go through suffering, for only then can you get the sweet fruits.” Gordon Shi-wen Chin, deeply immersed in the surging movements of his spirit, savors the labor pains of artistic creation with a joyful heart. As a composer, Chin’s mind is always filled with endless dancing notes. The pulse that fills his thoughts and demands to be expressed flows out naturally through his fingertips, becoming a expression of spontaneous eternity.

“The origins of my composing can be traced back to my first year in Japan.” Gordon Chin began playing the piano when he was five years old. In fifth and sixth grade, each week he would take the train from Dou­liu in Yun­lin County to Tai­nan, where he studied under his teacher Chen Mei-man. Shortly after Chin graduated from elementary school, his whole family moved to Japan. Not only did he have no friends there, the language was a huge obstacle, and the only consolation for his young spirit was music.

He had never previously interrupted his study of music, but here he was nearly forced to do so, for when his family first got to Japan they had no piano. “At that time I always stayed at school after the end of class, because there was a piano I could play.” With the shock of an unfamiliar culture, and missing his hometown and friends, it was only by drawing support from the invisible wings of music that he could find release for his dejected spirit. As the sun set each evening, one improvised piece after another accompanied Chin as he emerged from his gloomy state, and sparked life into his innate talent for composing music.

Finding truth through faith

“I would often think very deeply by myself.” In his third year of middle school, Chin, who matured early, began to explore the philosophy of existence. “From the moment we are born, it is certain that one day we will leave the world. Since death is inevitable, why should one take so much trouble to stay alive? Where is the meaning in that?” Living at that time in Yama­shita­cho, Yoko­hama’s Chinatown, Chin came to know about Jesus Christ in an overseas Chinese community church. There he saw the meaning of life in the persons of Minister Best and his wife.

“They are among the people I most admire. In them I saw the brilliance of human nature.” The sense of belonging in the interactions of the church youth group gave Chin the feeling that he had attained grace and a joyous rebirth. “A year later I was baptized and ­became a Christian.” The power of faith has enabled Chin to never feel lonely or irresolute again.

Minister Best and his wife enabled Chin to see the bright side of life. “They were always like the sun, conveying warmth.” Sincere smiles, meticulous concern for others, selfless service, and their positive worldview brought Chin out of the darkness. Joy replaced sorrow, and his cup of happiness overflowed.

Determined to return home

“In my second year of high school, I decided that after completing my studies I would return home.” People were astounded at his willingness to give up such a superior musical environment. He says, “I was only fulfilling a promise to myself.” On December 27, 1988, one month after receiving his doctorate, he returned with his wife and children to Taiwan, without ever looking back.

“I don’t in the least regret my choice back then.” Even after 30 years, Chin feels the same attachment and love for this land. “Returning to Taiwan, I felt settled and at peace.” This sense of belonging to his homeland has strongly drawn Gordon Chin. “I want to be like Minister Best and his wife, and devote my life to this piece of land.” Holding fast to this pure and selfless love, Chin has dedicated himself to education, in order to cultivate outstanding talents, and to leading an orchestra, in order to create a legacy. At the same time, drawing sustenance from his native soil, he has given birth to a diversity of creative works.

Writing poetry in music

“That was just the time when Taiwanese music was taking off.” In fact, even before his return home, a special feature of musical creation in Taiwan—using musical notes to write poetry—was already gaining inter­national attention. “Poetry is what sets my creative work in motion, and is one of my important sources of inspiration.” Gorgeous imagery, irregular rhythms and modulating cadences are all transformed by Chin into dancing notes and beautiful melodies.

“I am always seeking that sudden burst of energy, like a flash of lightning or a spark from a flint.” His distinctive compositional style of combining human voices with orchestral music has allowed Chin to skillfully utilize his natural gifts for composing for Western wind and string instruments, revealing his cutting edge through one breakthrough after another. “Every phase is worth treasur­ing.” From conception to birth, each creative work is always the result of blood, sweat and tears, which, given the fermentation of time, achieves exquisite taste.

An inexhaustibly joyful heart

Receiving his trophy at the National Awards of Art cere­mony, Chin’s heart was full of joy and gratitude. Besides thanking his parents, his teachers, people who have commissioned work from him, and his intimate friends, he expressed special gratitude to his wife, who has always quietly supported him behind the scenes. This award, which symbolizes the highest accolade in Taiwan’s arts community, is both an honor and a responsibility.

Gordon Chin believes that “a composer is like a pion­eer, leading the way through the wilderness.” They must have the perseverance to cut a path through the thorny underbrush, for only thus can they reach the flower-filled meadows of artistic creation.

He has also found hope through his faith. For nearly 30 years he has served as the conductor and musical dir­ector of the ­Yinqi Symphony Orchestra and Chorus, investing money, time, and energy with neither complaint nor regret.

Talent is revealed through hard work

Having been lauded as a genius since childhood, Chin has nevertheless realized that “genius is hard work over a long period of time; it is the ability to withstand suffering.” He gives all credit to the God that he worships: “Human abilities are inadequate, so all we can do is rely on the help of God. Faith has been my in­exhaust­ible motive force.”

“Every day I spend at least eight or nine hours composing.” Immersed in his studio, this has been Chin’s daily routine for decades. “You have to be able to put up with loneliness.” The creative process is often an arduous torment, but you have to receive it with a joyful heart. “When I am composing, I often go a month without speaking to anyone.”

Chin fondly recalls the strict instruction at the Eastman School of Music in Rochester, New York, which formed his ability to remain calm and steady. “Other people passed their exam at the second attempt, but for my doctorate I had to take it three times, and I got that opportunity only because my professor made an exception for me.”

Chin, who teaches at National Taiwan Normal University, tells his students plainly: “Composing is a lonely and difficult road. You have to get commissions from people in order to survive, otherwise you can’t make a living from it.” Only if your ambitions are firm and clear can you fearlessly proceed on this arduous path. “A composer must have a solid foundation in classical music, and should be familiar with at least one instrument, preferably the piano.”

Horizon of Formosa, blessings forever

To pursue the extreme is a composer’s fate. Each and every work must have innovative and profound content. Only when listeners are intoxicated by irresistible emotion and you have aroused resonance in their souls will a work be kept alive forever.

Austrian composer Gustav Mahler said: “The most important part cannot be written in the score.” Like an iceberg in the sea, there is an enormous hidden part that it takes effort to comprehend. “Music in fact is the depiction of emotions,” says Chin. You can only move your audience if you have love in your heart.

The widely appreciated “Golden Beam on the Horizon of Formosa” is one of a series of suites composed by Chin out of his concern for Taiwan, setting to music his strong affection for his native place. The words for this piece for symphony orchestra and chorus come from a poem in Taiwanese written by Chin’s wife Lu Jia­fen (pen name Ye Yin). “It is real emotion written for us, beautiful emotions; / This Taiwan, who will cherish it? / Sunrise illuminates Taiwan, blessings until the end of time.” This is a heartfelt declaration of Gordon Chin’s profound love for this land of ours.

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