泰國移工的心靈導師

台泰溝通橋梁──陶雲升
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2018 / 8月

文‧郭玉平 圖‧林旻萱


「我本身是泰國人,又有中華民國國籍,盡自己的力量做有助於兩邊社會的事,我想這是義不容辭的。」在泰語廣播及政府活動舞台上熱情主持的陶雲升,私底下卻寡言少語,時常沉思;而當電話響起,又肩負起為泰國貿易經濟辦事處(簡稱「泰辦處」)服務的雙重身分,多方聯繫,處處機鋒,作為政府與移工的溝通橋梁。

 


 

隨著政府對東南亞移工及新住民愈發重視,每年東南亞的開齋節和潑水節等重要節慶,國內各縣市舉辦大型活動吸引萬人齊聚,經常參加泰語活動的人,一定會認得陶雲升高亢的聲音。

陶雲升來台近40年,「聲」跡縱橫泰語主持界,長期為泰籍移工解決問題,是移工公認的心靈導師。他默默付出,不居功名,如今(2018)年4月震驚社會的桃園敬鵬工廠大火事件,有2名泰籍移工及6名消防員罹難,沒人曉得為桃園市政府與罹難移工家屬奔波聯繫的人,就是他。

佛家慈悲思想與捨我其誰的承擔,如何深植陶雲升心底,這得從他的童年說起。

與收音機的不解之緣

低調的陶雲升鮮少說起自己的過去,身為泰國華人,他從小生活在泰國清邁,對電子產品很感興趣,尤其是收音機。陶雲升每次看父親開啟家裡那台老式飛利浦收音機,「我就覺得裡面是不是有人啊?可是爸爸把他拆開來曬太陽,我看又沒人啊!」也在父親的教育下,養成每天收聽美國VOA、英國BBC、澳洲ABC等國際廣播的習慣。

陶雲升和收音機的不解之緣不僅於此,11歲出家當沙彌,每天研讀佛法和小學課程,一有閒暇就拆解收音機研究構造,無師自通,學會組裝免用電池的礦石收音機。畢業還俗後,繼續到技術學院主修電子工程學,1980年代正逢台灣電子業起飛,陶雲升順勢來台發揮所學。

來台6年後,收音機再度成為他的人生轉捩點,陶雲升勇於嘗試,報考亞洲之聲廣播電台的泰語主持人。

亞洲之聲是當時行政院新聞局委託中國廣播電台管理的海外電台,報考泰語主持的競爭對手多達70人,很多是在台留學畢業的泰籍華人,人才濟濟。由於陶雲升長年收聽國際廣播,熟悉國際政經專業用語,以及在台工作經歷豐富,脫穎而出,成為亞洲之聲泰語主持人。

或許陶雲升從沒想過,童年好奇開啟收音機,也開啟了他精彩的廣播人生。從電子業到廣播圈,讓他與聽友締結善緣,也攀上高峰,2013年獲得廣播金鐘獎的肯定。

泰國出家風俗

陶雲升童年曾短期出家、還俗的經歷,在普傳大乘佛教的台灣並不常見,但在泰國是相當稀鬆平常的事。

小乘佛教是泰國最主要的宗教信仰,「男子一生中要當一次和尚」是不成文的「義務」。出家3天、3個月或3年都隨個人志願,隨時可以還俗,前泰國國王拉瑪九世蒲美蓬亦曾按習俗短期出家15天。

泰國人認為,當和尚能夠學習作人的道理,尤其在年輕時研修佛學,可養成良好的道德觀念。所以很多女孩子認為男朋友要先去當和尚,才能結婚。此外,也有人希望藉由出家修行,以報答父母的養育之恩。

至於家境貧困促成出家機緣,是泰國民間的另一面向。許多經濟狀況不佳的家庭,為了讓孩子接受更好的教育,會把孩子送到寺廟當沙彌。

陶雲升靦腆地說自己出家是「因為家裡不富有啦!吃飯沒問題,但是要供你去上學是不太可能,所以我從小跟著師父到廟裡去出家兼唸書。」

陶雲升藉著出家才能讀書,貧困並未打倒他的心志,反將逆境轉變為積極求學的墊腳石。他在短時間內研習完國中及高中課程,畢業後就在廟裡教其他小沙彌英文、科學和電子學。

陶雲升說,出家那6年自己年紀太小不懂大道理,只會背誦,長大之後才發現當年背讀的佛學經典,「對人生哲學和作人處事方面,還滿有幫助的。」

泰籍移工的心靈導師

佛學在陶雲升心底埋下一份慈憫的情懷,他體察到移工聽友的需求,在廣播節目中開設法律常識單元,開放聽友call in諮詢,甚至邀請泰辦處處長來解說法規。節目從亞洲之聲,一直延續到後來的中央廣播電台(簡稱「央廣」),30年來為眾多聽友解惑。

不像現在可撥打「1955勞工專線」諮詢申訴,早期泰籍移工都是透過這個節目來釐清資訊,並化解許多勞資誤會。陶雲升說,有些誤會是由於台泰習俗差異造成的,例如泰國人認為頭部是很神聖的,不能亂摸,而台灣人多以拍肩摸頭表示親切,就有移工因為雇主輕輕摸頭的動作而生氣逃跑或離職返鄉。

「我有廣播的資源,又有泰辦處的正確資訊來源,我想結合這兩方面去幫助他們。」陶雲升說,原本泰籍移工的逃跑率在印泰越菲4國裡是最高的,節目播出後即大幅下降,成為四國最低。

關於協助溝通,陶雲升談到另一件印象深刻的事,1999年雲林台塑六輕廠爆發嚴重的移工衝突事件,來自泰國和菲律賓的工人互丟石塊、汽油彈,大批警力無法遏止,泰辦處長官和陶雲升趕到現場與泰籍移工溝通。陶雲升看暴動人群手持棍棒沒有退散的態勢,跟鎮暴警察借用擴音器,用泰語和移工說明政府單位會介入,以解決廠商高壓管理的問題,「希望大家能夠遵循泰國人的溫良美德,我數到三,你們就把東西全部放下回去宿舍,能不能配合?」陶雲升的聲音彷彿有鎮定的魔力,他一數到三,移工們陸續放下棍棒回宿舍,解除危機。

其實陶雲升當下也很擔心逾千名的移工不願意配合,不過因為「我們在節目中說明法律常識、跟聽友聊天、幫他們解決問題,所以他們比較信任吧!」

他鄉遇故知的喜悅有如久旱逢甘霖,移工遠從泰國飛到台灣,在陌生的環境聽著不熟悉的語言,儘管遭遇糾紛也有苦難言,藉由陶雲升的泰語廣播節目,能暢所欲言、受益解惑,實是旱地甘霖之喜。林口發電廠工作十多年的泰籍移工梅山說:「我們都叫他『陶老師』,聽陶老師說話,就像爸爸媽媽在旁邊教你一樣,大家都會聽。」陶雲升如移工在台的第二父母,溫柔的叮嚀都銘記在移工們的心裡。

率先轉型經營新媒體

隨著時代轉變,使用收音機收聽廣播的人口減少,泰語聽友來信也從一個月兩、三千封減少到三、四百封,而網路收聽廣播的人數增加,網路的留言訊息也倍增。

陶雲升在外語廣播圈首開先例,他召集央廣泰語主持人一起經營Facebook粉絲專頁,從後台的「洞悉報告」可以看出粉絲互動十分熱絡,光是一則颱風資訊的貼文就有超過一千五百多個讚。

但陶雲升不是刻意「率先」,傑出的點閱率其實是無心插柳。起初是體恤泰籍朋友看不懂中文,希望藉由網路分享台泰的氣象、匯率及國家大事,善盡第二父母的職責,叮嚀「颱風要來了,要小心!」、「新台幣升值了,現在匯錢回泰會多更多」……等,實用的生活資訊吸引來三萬多人追蹤,甚至泰國媒體會直接引用他們粉絲專頁上的新聞,於泰國推播泰人在台灣的狀況。

轉型經營新媒體如Facebook、YouTube,是廣播和電視媒體的趨勢,因應觀眾收聽收看型態,推出更貼近民眾需求的影音節目。雖然跨領域經營對陶雲升又是新的嘗試,但「得到的反應都是正面的,我們覺得很值得!」陶雲升仍抱著熱情,在媒體新潮流中揚帆前行。                    

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移住労働者の心の支え

文・郭玉平 写真・林旻萱 翻訳・山口 雪菜

「私はタイ人で、また中華民国の国籍も持っていますから、両方の社会に役立つことに力を注ぐのは当然だと考えています」——タイ語放送と政府のイベントで司会を務める陶雲升は、普段は寡黙で物静かだが、電話がかかってくれば、駐台タイ貿易経済弁事処の仕事も引き受け、あちこち忙しく連絡を取りつつ、政府と移住労働者の懸け橋の役割を果たしている。


政府は東南アジアからの移住労働者や新住民を重視するようになり、ラマダン明けや水掛祭りなど、東南アジアの重要な祭日には各地で大規模なイベントが開かれる。タイに関連するイベントに参加したことのある人なら、陶雲升の声を覚えていることだろう。

台湾に来て40年。タイ語の司会者として知られ、長年にわたってタイ人労働者の問題を解決してきた彼は、移住労働者たちの心の支えとして慕われているが、常に控えめで功名を求めることはない。今(2018)年4月に桃園の敬鵬工場で大火災が起り、タイ人労働者2名と消防隊員6名が亡くなるという惨事があったが、その時に桃園市と遺族との連絡に奔走したのも彼であった。

仏教徒の慈悲の心と強い責任感は、彼の子供の頃に培われたものだ。

ラジオとの出会い

物静かなで控えめな陶雲升が自分のことを話すことは少ない。タイ華僑としてチェンマイで育った彼は、子供の頃から電気製品、特にラジオに興味を持っていた。父親の教育方針で、毎日アメリカのVOAやイギリスのBBC、オーストラリアのABCなどの番組を聞いていた。

ラジオとの縁はそれだけではなかった。11歳で出家した時には、暇さえあればラジオを分解して構造を研究し、電池の要らない鉱石ラジオを自分で組み立てることもあった。出家修行を終えると工科短大で電子工学を専攻し、1980年に台湾のエレクトロニクス産業が急成長していた時期に、台湾で働くことにしたのである。

台湾に来て6年目の時、再びラジオが彼の人生を変える。当時、行政院新聞局がラジオ局の中国広播電台(BCC)に委託していた海外向けラジオ放送「亜洲之声(アジアの声)」のタイ語パーソナリティの試験を受けたのである。幼い頃からずっとラジオを聞いてきた彼は、国際政治や経済の専門用語などもよく知っており、70人の受験者の中から採用された。

ここから陶雲升のラジオパーソナリティとしての人生が始まる。多くのリスナーと出会い、2013年にはラジオ番組司会者の最高の栄誉である金鍾賞も受賞した。

タイの出家の風習

陶雲升は少年時代に一時期出家し、還俗した経験がある。大乗仏教が普及している台湾では珍しいが、タイではごく普通のことだという。

小乗仏教はタイで最も普及している宗教信仰であり、「男子は一生に一度は出家するもの」という不文律がある。出家期間は3日でも3ヶ月でも3年でも、本人が決めればよく、いつでも還俗できる。タイのプミポン前国王もこの風習に従って15日間出家した。

タイの人々は、出家して僧侶になれば正しい道徳観念が身につくと考えている。また、息子が出家修行して親の養育の恩に報いてほしいと願う親もいる。この他に、家が貧しいために出家する事例もある。陶雲升自身も「家は豊かではなかったので、私を学校に入れることができず、そのため私は子供の頃から師匠について寺院で修業をしながら勉強したのです」と言う。

陶雲升は貧しさにくじけることはなく、むしろ逆境を乗り越えようと努力した。短期間で中学高校のカリキュラムを終え、卒業後は寺で他の若い僧侶に英語や科学、電子工学を教えた。

6年間の出家修行の間、まだ幼かったため仏の教えの道理は良くわからず、ただ経文を暗誦するばかりだったと言う。だが大人になってから、当時覚えた経典が「人生哲学や人間関係などで大きく役に立っている」と語る。

タイ人労働者の心の支えに

仏の教えは陶雲升の心に慈悲と憐みの基礎を作った。彼のラジオ番組を聞いているタイ人労働者の悩みに気付き、番組に法律知識のコーナーを設けて、視聴者からの相談の電話を受けることにしたのである。時にはタイ貿易経済弁事処の処長を招いて法令の解説をしてもらうこともある。彼の番組は「亜洲之声」から、後に中央広播電台(RTI)になるまで続き、30年にわたってリスナーの問題や疑問を解決してきた。

現在は誰でも「1955労働者ホットライン」に電話をかけて問い合わせたり、申し立てをしたりすることができるが、当時はタイ人労働者はこのラジオ番組を通して情報を得、労使間の多くの誤解を解いてきた。陶雲升によると、誤解の中には習慣の違いから来るものもある。例えば、タイ人は頭部は非常に神聖なもので、勝手に人の頭に触ってはならないと考えるが、台湾人は親しみを込めて相手の肩や頭に触れることがあり、これに腹を立てて辞めてしまうタイ人もいたのである。

「私にはラジオ番組という手段があり、タイ貿易経済弁事処の正確な情報もあるので、彼らを助けることができるのです」と言う。陶雲升によると、かつてインドネシア人、タイ人、ベトナム人、フィリピン人労働者の中で、受け入れ先から逃亡・疾走してしまう比率はタイ人が最も高かったのだが、この番組を放送し始めた初年度から大幅に減り、四ヶ国の中で最も低くなったという。

こんな印象的な事もあった。1999年に雲林県の台湾プラスチック第六ナフサ分解プラントで、移住労働者による暴動事件が起きた。タイ貿易経済弁事処の官僚と陶雲升が夜を徹して現場に駆け付けると、暴動を起こした人々は棍棒を手にしていて退散する様子もない。そこで彼は警察から拡声器を借り、タイ人労働者たちに向って、すでに政府が介入して企業側の高圧的な管理の問題を解決することになったと説明し、「皆さん、温和なタイ人の美徳に従ってください。私が1、2、3と数えたら、手に持ったものを置いて宿舎に帰ってください」と呼びかけたのである。その声はまるで魔力を持っていたかのようで、3まで数えると、彼らは次々と棍棒を手放して宿舎に帰り、危機は解除されたのである。

実は陶雲升は、千人を超える労働者を前に、協力してくれないのではないかと心配していた。「ですが、私が番組の中で法律を説明し、リスナーの問題を解決していたので、彼らも少し信用してくれたのかもしれません」と言う。

こうした貢献から、タイ人労働者にとって陶雲升は第二の親のような存在で、その優しい呼びかけは彼らの胸に刻まれている。

時代が変わり、ラジオを聴く人は少なくなってきた。タイ語放送のリスナーからの手紙も、月に2000通以上あったのが、最近は300~400通に減り、一方でインターネットで番組を聴取する人が増え、オンラインでのメッセージやコメントは倍増している。

新しいメディアへの挑戦

陶雲升はタイ語放送のパーソナリティに呼びかけ、外国語放送に携わる人々の中で最も早くフェイスブックのページを運営し始めた。そのページを開くと、リスナーとの交流がいかに盛んかがよくわかる。一つの台風情報に対して「いいね!」が1500件以上寄せられているのである。

陶雲升は、タイ人は中国語が読めないので、ネットを通して台湾とタイの気象情報や為替レート、重要ニュースなどを提供しようと考えただけなのだが、思いがけず実用的な生活情報が3万人ものフォロワーを惹きつけ、時にはタイのメディアがページ上のニュースをそのまま引用することもある。

新たなメディアであるYouTubeやフェイスブックへの参入は、ラジオやテレビの趨勢である。これによって視聴者やリスナーの視聴形態の変化に対応し、より身近でニーズにマッチした番組を提供することができる。ジャンルを越えた運営は陶雲升にとって新たなチャレンジだが、彼は情熱を胸に前進していく。

Asoke Srichantr

Camille Kuo /photos courtesy of Lin Min-hsuan /tr. by Bruce Humes

“As a Thai who is also a citizen of the Republic of China, I spare no effort to do things that benefit both societies. I believe this is my duty,” says ­Asoke Sri­chantr, who enthusiastically hosts Thai-language broadcasts and takes the stage at government events. In private, he is reticent and often contemplative; but when the phone rings, he shoulders the additional role of working for the Thailand Trade and Economic Office in Taipei, liaising widely and speaking articulately as a bridge facilitating communications between Thai migrant workers and the Thai and Taiwan governments.

 


 

Asoke Sri­chantr came to Taiwan nearly 40 years ago, and today the sound of his voice is omnipresent at events presided over by Thai-language presenters. He has long solved problems for Thai migrant workers, among whom he is recognized as a spiritual mentor. He makes his contribution quietly, oblivious to recognition. For example, in the Chin Poon factory fire in Tao­yuan that shocked society this April, two Thai workers and six firefighters tragically died. Few people know, however, that it was Sri­chantr who undertook the busy task of liaising between local officials and the families of the Thai victims.

To understand how Buddhist compassion and a willingness to selflessly throw himself into such challenges took root in Sri­chantr’s heart, we must look to his ­childhood.

Unbreakable bond with radio

Low-key Sri­chantr rarely speaks of his past, but he reveals that as an overseas Chinese growing up in ­Chiang Mai, Thailand, from his earliest years he was particularly fascinated by the radio. Guided by his father, he developed the habit of listening to international broadcasters such as the Voice of America, the British Broadcasting Corporation, and the Australian Broadcasting Corporation.

The unbreakable bond between Sri­chantr and radio didn’t end there. At 11 years of age, he was ordained as a novice monk. Whenever he had free time, he took radios apart to observe their structure, and learned on his own how to assemble a battery-free unit containing a crystal radio receiver. After graduation and once again a layman, he went on to major in electrical engineering at a technical college. It was the 1980s, when Taiwan’s electronics industry was just taking off, so Sri­chantr came to the island to put his studies to good use.

Six years after his arrival in Taiwan, the radio once again played a pivotal role in his life. Sri­chantr applied for the position of Thai announcer at the Voice of Asia, then managed by Taiwan’s Broadcasting Corporation of China. Thanks to his many years listening to overseas news broadcasts and his familiarity with international political and economic terminology, he stood out among the 70 applicants.

With this appointment, Sri­chantr’s remarkable career in broadcasting took off. He established excellent relations with many listeners, and attained the pinnacle of success in 2013 when the program he was hosting won a Golden Bell Award.

Monkhood: A Thai custom

Srichantr’s childhood experience of spending a short period as a monk, followed by reversion to lay life, is not typical in Taiwan, where Mahayana Buddhism is widespread, but it is commonplace in Thailand.

The Theravada school of Buddhism is Thailand’s principal religious faith. “A man must serve as a monk once in his life” is an unwritten duty. Be it for three days, months or years, it is an individual choice, and one can return to lay life at any time. Even the late King Bhumibol Adulyadej, who passed away in 2016, did a 15-day stint as a novice monk.

Thais believe that serving as a monk can nurture a healthy set of values. Many parents hope that via monkhood, their sons can learn how to lead a proper life; the boys, for their part, hope to show their gratitude to their parents for raising them. Poverty can also be a motivating factor. “My family wasn’t well off! They couldn’t pay for my education,” says Sri­chantr bashfully, “so when I was young I left home to become a monk and study with a master at the temple.”

Recalling his six years as a monk, spent reciting the Buddhist classics alongside his high-school studies, Sri­chantr comments that “those years were very useful in shaping my outlook on life and my behavior” now that he is an adult.

Spiritual mentor to the Thai migrant community

Buddhism has planted a sense of compassion in Sri­chantr’s heart. Recognizing the needs of his migrant worker audience, he devoted a segment during his show to imparting basic legal knowledge and invited listeners to call in and seek advice. He even invited the director of the Thailand Trade and Economic Office in Taipei (TTEO) to explain legal regulations. Beginning with Voice of Asia right down to today’s show on Radio Taiwan International (RTI)—covering three decades—he has been demystifying the law for his listeners.

Before the current 24-hour “1955 Hotline” was put in place for migrant workers to seek advice or lodge complaints, Thai workers would call Srichantr’s show to clarify information and resolve misunderstandings between workers and their employers. Previously, the percentage of Thai workers who abandoned their jobs was the highest among those coming from Thailand, Indonesia, Vietnam and the Philippines; but after the show began broadcasting, the rate fell sharply to become the lowest among the four nationalities that year.

Regarding his role in facilitating intercultural communication, Sri­chantr recounts an incident that left a strong impression. In 1999, a serious conflict involving Thai and Filipino workers broke out at Formosa Plastics’ Naphtha Cracking Plant #6 in Yun­lin County. Sri­chantr and senior TTEO officials rushed to the scene that night. Seeing that the rioters had clubs in their hands and showed no sign of retreating, Sri­chantr borrowed a megaphone from the police, and explained to the Thai participants that the Thai and Taiwan governments would intervene in order to resolve the issue of the employer’s high-pressure management practices. “I hope that everyone can respect our traditional Thai virtue of moderation. When I count to three, place the things in your hands on the ground and return to your dormitories. Could I have your cooperation, please?” His voice seemed to possess a magical calming quality, and at the count of three, the migrant workers gradually did as requested and returned to their housing, thereby ending the crisis.

In fact, at that instant Sri­chantr himself was worried that the workers—numbering over 1000—might not cooperate. But “since we popularize the basics of the law via our show, and chat with the audience and help them resolve problems, they’re fairly trusting of us!”

Srichantr goes the extra mile, serving as a Taiwan­-based surrogate “parent” for migrant workers on the island, so his gentle admonitions are imprinted in their hearts.

Pioneering switch to new media

Srichantr set a precedent among foreign-language broadcasters in Taiwan by mobilizing Thai presenters at RTI to jointly host a Facebook fan page. Based on the page’s analytics, it is evident that it is highly interactive. One post alone—providing information on a typhoon—has notched up more than 1000 “likes.” 

Srichantr’s initial motivation was that he sympathized with Thai listeners who couldn’t read Chinese, and he simply hoped he could help share information via the web about local or Thai weather reports, currency exchange rates and major political events. But un­expec­tedly, these practical tips attracted more than 30,000 followers, and even Thai media began citing the news on this fan page, updating Thais back in their home country about the status of their fellow citizens in Taiwan.

Transitioning to operating new media like Facebook and YouTube is the trend in radio and television. This calls for launching audio and video programs that more closely match the needs of people, and the way listening and viewing audiences consume them. Cross-­media management is a fresh experience for Sri­chantr, but he is enthusiastic about it as he surfs the waves of this new media tide.                                                                       

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