葉が落ちて根に帰る
エコツアーを考え始めたきっかけはこうだ。十数年前に「都市で働く流浪生活」を終えた包泰徳さんは帰郷し、野菜や唐辛子、愛玉、桃などの経済作物の栽培を試みたが、台風で駄目になったり、原価がかかりすぎて赤字になるなど、さんざんな目にあった。6年ほど前、山地では「レジャー産業」がブームとなり、霧台の芸術村を訪れた観光客の多くが「間違って」阿礼村まで足を運び、その美しさを称賛したことから、観光誘致を目指し始めたのである。
包泰徳さんは大頭目である包基成さんの叔父に当り、彼らは村の長老の支持を得て政府の補助も申請した。村民には家や畑の美化を奨励し、鳥がさえずり、花が香る美しい村へと改造していった。一部の家は民宿に改修し、古秀慧さんはお年寄りの記憶を記録し始めた。
2008年、屏東科技大学森林学科の陳美惠准教授が県の依頼を受けて指導に訪れ、自然保護を中心とする「エコツアー」を導入し、村民は将来の発展に自信を持った。
「阿礼には非常に豊かなエコツアーの資源があります」と陳美惠准教授は言う。自然資源としては、阿礼村は双鬼湖(大鬼湖と小鬼湖)の野生動物重要生息環境の入り口に位置し、鳥類(クマタカ、タイワンコノハズク、シロクロヒタキ)、昆虫(チョウ、ホタル、甲虫)、哺乳類(スイロク、ムササビ、センザンコウ)などが見られる。文化的にも貴重で、西ルカイの中でも日本植民地と国民政府による集落移転という「迫害」に遭わなかったのは阿礼村と隣りの吉露村だけだ。
ところが、昨年の台風8号の後、吉露村は地滑りに遭い、村全体が移転を余儀なくされ、阿礼村の「上部落」がルカイの住む唯一の拠点となった。
頭目の家はまるで活きた博物館のようで、石板屋の内部には「ルカイの三宝」――陶器の壺、瑠璃珠、銅刀があり、家の下には前三代の大頭目を埋葬した葬穴がある(ルカイの人々は死後にしゃがんだ姿で家の石板の下に葬られる)。また、ここには人間と大自然との緊密な関係がある。例えば、農薬や化学肥料を使わない自然農法を行ない、机や床には石板を用い、東屋なども周囲にある建材で建てている。「伝統の知恵」は他の多くの原住民集落に比べても、豊富に保存されている。
阿礼集落の「上部落」と「下部落」を結ぶ道には見事な石板壁があり、一枚一枚にルカイの文化と伝説が刻まれている。