《光華》名人座談:金樽的光芒

嚴長壽與江賢二的台東藍圖
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2020 / 7月

文‧謝宜婷 圖‧林格立


提及台東,許多熱血的活動不斷閃過腦海:池上藝術季、金樽衝浪賽、鹿野熱氣球嘉年華。原本「好山、好水、好無聊」的偏鄉形象,經過政府導入設計思維,以及民間團體長期駐點,台東已經蛻變為國際知名的旅遊城市。

除了觀光實力,台東也蘊含豐富的文化能量。嚴長壽創立的公益平台文化基金會,多年來致力挖掘並培養花東在地人才; 2008年移居台東的國際級藝術家江賢二,在金樽規劃了一座藝術園區,未來除了展示自己畢生的創作,還計劃邀請音樂家與文學家駐村,希望更多創作者能在台東的大自然找到靈感。


 

為了更加了解台東的優勢與發展潛力,此次名人座談由《光華》總編輯陳亮君主持,特別邀請嚴長壽總裁與江賢二大師談談他們對台東的印象與願景,以及兩人之間的深厚情誼。


TP:請問嚴總裁您覺得台東地方創生的優勢為何?

嚴:九二一大地震後,我到南投埔里協助恢復地方產業,我告訴在地人,種茶不只要賣茶,還要把它變成食養膳房,並延伸至茶藝和茶道;我在雪隧還未開通,宜蘭尚未開發的時候,到當地演講,我告訴他們:「請你們珍惜現在擁有的溫泉、蘭陽平原和一望無際的風景,但是不要只把宜蘭當成台北的後花園,而是要創造出自己的特色。」後來當地就規劃了童玩節。可是那些都是手段而已,最終的目的是,即使沒有童玩節,人們也會去宜蘭。
經營花東,也是一樣的道理。50年前,我在花蓮當兵,知道原住民豐厚的部落文化,而台東擁有沒被破壞的自然風景與壯闊景觀。現在,當地還有原住民藝術家與音樂家,以及江老師這樣的國際級藝術家。這讓我想起日本瀨戶內海的地方創生案例,原本的荒島經過藝術家雕琢,變成一個重要景點,每年的藝術節吸引許多人朝聖。江老師跟我都認為,台東將會是一個不亞於瀨戶內海的國際景點。 


TP:江老師搬到台東後,畫風從陰鬱轉為明亮,嚴總裁也開玩笑稱這是「臨老入花叢」,請問台東如何影響您的創作呢?

江:我所有系列作品,最重要的元素都是光。那道光有時微弱、有時溫柔、有時明亮,但都是從我心裡發出來。這可以解釋為什麼我在紐約、巴黎和台北,都不想面對外面,因為我只想享受從內心發出的光,那是虔誠與神聖的光線。不過搬到台東後,我開始打開畫室窗戶,感受台東的陽光、空氣、大海和花草,將台東給我的印象呈現在抽象的畫面上。 


TP:嚴總裁創立的公益平台文化基金會,耕耘台東多年,您是如何永續經營當地呢?

嚴:我看到台東的優勢後,就開始思考如何不讓它被台灣西部的開發觀念所破壞,所以我們接著協助興起在地文化。
以台東金樽為例,冬天有東北季風將浪推到海邊,形成很棒的衝浪條件,所以每年11月到隔年4月,會吸引日本、歐美和香港的衝浪客前來,這是台東金樽的優勢。不過,衝浪地點附近沒有公共廁所,於是我邀請當時的交通部長來看看,希望能讓這個地點的公共設施更完善。
我們還帶媒體去台東的棉麻屋,報導原住民龍惠媚的手工作品,讓更多人看見她的創作。現在,她已經是義大利與法國的駐村藝術家了。而來自海外的訂單,動員了30幾位地方婦女投入編織工作,幫助凋零的部落復興。
除了保存在地文化,更重要的是讓花東國際化,台東長濱現在有米其林水準的餐廳,而且菜單上,原住民料理和法國菜都有。我們還在台東創立國際實驗學校──均一中小學,讓在地的年輕人學習英文,跟國際接軌,這樣他們就有機會把國際資源引進花東。 


TP:江老師在紐約長島時,興起建立藝術園區的念頭,不過來到台東才實踐這個想法。您當初為什麼想建立藝術園區?紐約長島與台東的相似處在哪裡?

江:台東跟長島的共同點就是人少、空氣好、自然景觀好,沒有高樓大廈。1980年代我住在長島東漢普頓,每年夏天我都在思考開放我的畫室給大眾,讓大家有機會跟我一樣體驗大自然的美,也因為我覺得藝術家對社會沒什麼貢獻,一輩子幾乎都在工作室處理自己的藝術品,所以,我希望未來一定要回饋社會。不過搬到台北後,因為環境改變,所以暫時打消了那個念頭,後來到台東,因為環境真的很好,自己能力也足夠了,加上嚴總裁的影響,各方面都讓我思考,應該要做點什麼來回饋社會。 


TP:嚴總裁曾說過自己是江老師的後援會,請問您欣賞江老師的地方有哪些?

嚴:20幾年前,江老師回台灣後,我們才認識。雖然我當時對藝術是門外漢,但是他的《銀湖》系列作品總是讓我感動。當我在規劃蘇州亞致精品酒店的裝潢時,發現房間氣氛過於現代化,我第一個想到的解決方式就是江老師的畫。我馬上打電話回台灣,請江老師借我兩幅《銀湖》的翻拍照去出圖。畫掛上去之後,房間的氣氛都沉澱下來了,於是,我理解到一位藝術家用他的作品就能改變整個空間的氛圍。
在接下來十幾年的時間,我看著老師他每一個階段,一轉身,就是一個新的創作。很多藝術家一輩子兩三個轉身已經不得了,但是老師幾乎做了十幾個轉身。
江老師的畫室變成園區以後,他特別規劃了一個給駐村藝術家的區域,他不希望自己獨享在花東受到的感動。他期待藝術家到園區裡住一段時間,回去之後,台東的環境會給他們一些靈感。我知道這個規畫後,非常感動。有一天,老師跟我都會不在,但那個記憶會永遠留在台東,就像均一中小學會永遠延續下去,培養更多年輕人。 


TP:請江老師分享搬到台東後,生活與心態的轉變?

江:年輕的時候,我聽的音樂種類不多,但每天早上我打開畫室,一定會先播巴哈的鋼琴曲。現在我在台東工作,什麼類型都聽,心血來潮就聽,我會聽聽貓王的音樂、rock and roll的音樂和 Bob Dylan的音樂。
現在我面對很多事情,態度都變得比較輕鬆,不像年輕的時候很絕對,作品都非常非常用力在處理,上下左右一定要處理得很完美。經過二、三十年我才學會,對事情不一定要那麼用力,順其自然就好。
我每天也會在園區走一走,天黑以前,一定要在園區view最好的地方喝咖啡,就是深怕錯過了那美好時光。我甚至會用鬧鐘提醒自己大約五點前要洗手,上樓去喝咖啡。以前鬧鐘,是用來叫醒我,但在台東我不需要鬧鐘,自己四、五點一定醒。 


TP:嚴總裁與江老師雖然都已經70多歲,但是對於理想仍堅持不輟。請兩位分享自己的人生理念,並給後輩一些鼓勵。

嚴:我今年73歲,江老師78歲,都是坐七望八的年紀,而這一路走來,一片精彩,每一個轉身,都不必想下一步,它就在前方出現。
我剛到花東的時候,從來沒想過會創辦學校,那是跟過去經歷完全不一樣的工作,可是現在我在台東所做的不僅跟藝術接軌,而且還成為江老師的後援會。公益平台基金會的每個夥伴都不知道我們會走到現在這個角色,所以,我要告訴年輕人,你將來做的事未必是當初設定的目標。每個階段都有無法預期的事發生,但是只要知道自己的優點在哪、未來趨勢是什麼,結合兩者就能找到發展的方向,不要給自己太大的壓力。

江:我年輕時創作太用力,對每件作品都斤斤計較,一定要處理得很perfect,但是慢慢地,我開始放輕鬆,簡單來說,就是順其自然,但不是什麼都不做,而是每天努力往你要的方向做,遇到問題就想辦法處理。
我也常常跟年輕人說,藝術品是從人出來,所以每天還是要去生活,跟家人相處,然後繼續完成藝術品。也不要計畫三年、五年以後,要變成大畫家,在某個美術館展覽,這些我們都無法控制和計劃,唯一可以控制的是,每天認真生活,持續創作,最後一定會有成績。

嚴:江老師在受訪時,都會強調藝術家不要太早販賣作品,不然就會跟著市場需求走,開始遷就、妥協。藝術應該是生命經驗的積累呈現在作品裡,等到作品成熟,爆發的力量會非常大。老師的作品30年後,才第一次公諸於世,正式在台灣呈現,他忍受了30年的寂寞與沉澱,才淬煉出這樣的作品。 


TP:請問嚴總裁與江老師,彼此覺得對方是個怎樣的人?

江:總裁有很多優點,講不完,我認識他這麼久了,他無論對朋友、工作夥伴,講話從來沒有一句重話,從來沒有。另外我也觀察到,他不管對什麼職位的人,清道夫也好,總統夫人也好,大企業家也好,他都是平等對待。甚至有人受傷的時候,總裁還會蹲下來幫他清潔。他有很多很多優點,都不需要我講。

嚴:江老師在國際上,是一個亮點與不容忽視的角色,只是他很低調、謙卑,不希望藝術太商業化,所以連經紀人都不要。我知道後,主動接下這個角色,希望能幫助他發光發熱。江老師與人相處上,非常的親切、溫暖,這是藝術家少有的特質,可是當他在創作時,非常地堅持,這是我看到的江老師。 

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厳長寿と江賢二が描く

「台東の青写真」

文・謝宜婷 写真・林格立 翻訳・山口 雪菜

台東と言えば多くのにぎやかなイベントが思い浮かぶ。池上の芸術祭、金樽のサーフィン大会、鹿野バルーンフェスティバルなどだ。「山も水も美しいが、何もなくて退屈」という田舎のイメージがあったが、政府がデザイン思考を取り入れることで、世界に知られる観光地へと変わりつつある。

観光だけでなく、台東には豊かな文化的エネルギーもある。厳長寿氏が創設した公益プラットフォーム文化基金会は、長年にわたって花蓮・台東の人材育成に力を注いできた。2008年に台東に移住した世界的芸術家の江賢二氏は、台東の金樽に芸術パークを設ける計画を立てている。自らの作品を展示するほか、音楽家や文学者を招いて住んでもらい、多くのアーティストが台東の大自然からインスピレーションを得られるようにしたいと願っている。


台東の魅力とポテンシャルを理解するために、「光華」は厳長寿氏と江賢二氏をお招きし、光華編集長の陳亮君が進行役を務めて、台東のビジョンとお二人の友情を語っていただいた。

 

TP:厳総裁は、台東の地方創生の優位性をどう見ていらっしゃいますか。

厳:50年前、私は兵役で花蓮に勤務していて、先住民の豊かな文化と、手つかずの壮大な自然があることを知りました。今は現地で先住民アーティストが活躍し、江先生のような世界的な芸術家もお住まいで、私は日本の瀬戸内海の地方創生を思い浮かべました。荒れ果てていた島に芸術家が移住することで観光スポットとなり、年に一度の芸術祭には多くの人が訪れます。江先生と私は、台東は瀬戸内海に劣らない国際的なスポットになりうると考えています。


TP:江先生は台東に移住された後、画風が明るくなりました。厳総裁は冗談で「老いのロマンス」とおっしゃいますが、台東が創作に影響しているのでしょうか。

江:私の全シリーズ作品の重要な要素は光です。その光は時に弱々しく、時にやさしく、時に明るいものですが、どれも自分の内面から発するものです。ニューヨークやパリ、台北で、私が外と向き合おうとしなかった理由がここにあります。私は内なる光、つまり敬虔で神聖な光だけを感じたかったからです。ところが、台東に移住してからはアトリエの窓を開けるようになりました。台東の陽光、空気、海や草花を感じ、台東があたえてくれるイメージをキャンバスに表現したいと感じたのです。


TP:厳総裁は公益プラットフォーム文化基金会を設立して長年台東で活動してこられましたが、どのように運営を持続しているのでしょう。

厳:私は台東の優位性に気づいてから、台湾西部のように開発によって破壊させないにはどうすればいいか考え始めました。そこで地元文化の振興に協力し始めたのです。

例えば台東の金樽では、冬の季節風でサーフィンに絶好の波が発生し、毎年11月から4月にかけて日本や欧米、香港などのサーファーが集まってきます。これは金樽の強みです。ただ、サーファーのための公衆トイレさえなかったので、私は当時の交通相を招き、ビーチの公共施設の拡充をお願いしました。

また台東の棉麻屋にマスコミを招き、先住民の龍恵媚の手工芸品を紹介しました。彼女は今ではイタリアとフランスのレジデント・アーティストになっていて、海外からの注文が増え、地域の女性30人がその編織の仕事に従事しています。

地域文化保存の他に、より重要なのは花蓮・台東の国際化です。台東長浜にはミシュランクラスのレストランがあり、先住民料理とフレンチを出しています。また、台東に国際実験学校「均一小中学校」を設立しました。現地の若い世代が英語を習得して世界とつながってほしいからです。それにより、彼らは海外のリソースを花蓮・台東に導入することができるでしょう。


TP:江先生はニューヨークのロングアイランドにいらっしゃった時に、芸術パーク創設を思いつかれたということですが、台東へ来てから実践されました。芸術パークを考えられた理由と、ロングアイランドと台東の類似点をお話しください。

江:台東とロングアイランドの共通点は人口が少なく、空気も景観もきれいで、ビルもないことです。1980年代にロングアイランドのウエストハンプトンにいた時、夏になるとアトリエを開放して多くの人と一緒に大自然の美を楽しみたいと考えていました。台北に移転してからは、環境が変わったのでこの考えはなくなりましたが、台東に来てからは、環境があまりにも素晴らしく、自分にも十分な能力があり、また厳総裁の影響もあって、何か社会にお返しをしたいと考えるようになったのです。


TP:厳総裁は江先生の後援会だとおっしゃっていますが、江先生についてお話しください。

厳:20数年前、江先生が帰国されてから知り合いました。芸術は門外漢でしたが、先生の『銀湖』シリーズには感動しました。蘇州でホテルの内装をしていた時、部屋の雰囲気が現代的過ぎると感じ、すぐに思い浮かんだのは江先生の絵でした。すぐに台湾に電話をして先生の『銀湖』の作品を写真にとって送ってもらい、飾ってみると、部屋の雰囲気は一瞬にして落ち着きのあるものになったのです。こうして、芸術家は作品を通して空間の空気を変えられることに気づきました。

江先生はアトリエを芸樹パークに変えた後、他の芸術家にも花蓮・台東の感動を味わってもらおうと、アーティスト・イン・レジデンスのためのエリアを設けました。いつか、先生と私が世を去っても、均一小中学校が永遠に続き、より多くの若い世代を世に送り出すように、その記憶はずっと台東に残るでしょう。 


TP:台東へ移住されてからの、生活と心の変化をお話しください。

江:若い頃はいろいろな種類の音楽は聴かず、朝アトリエを開ける時だけバッハのピアノ曲を聞いていました。それが台東へ来てからは何でも聞くようになりました。プレスリーやロックンロール、ボブ・ディランなども聞きます。

それに、物事に対して以前よりリラックスした態度で臨めるようになりました。若い頃は、何事も非常に力んでいて、隅々まで完璧に処理しなければ気が済みませんでした。それが20~30年たって、ようやく力まずに、自然の流れに任せられるようになりました。


TP:厳総裁と江先生はすでに70代ですが、常に理想を追い求めていらっしゃいます。若い人のために、人生の理念をお話しください。

厳:私は73歳、江先生は78歳です。

私が花蓮・台東に来たばかりの頃は、ここに学校を設立することなど考えていませんでした。それまでの経歴とは関りがないからです。しかし、今では台東での仕事は芸術とつながり、江先生の後援会もやっています。公益プラットフォーム基金会の仲間たちも、こういう役割を果たすことになるとは思っていませんでした。ですから、若い人には、将来的に当初の目標と同じことをやるとは限らないということを知っていただきたいと思います。どの段階でも、予期しなかったことが発生しますが、自分の強みや将来の趨勢がわかっていれば、それを結び付けて進むべき方向が見出せますから、自分にプレッシャーをかけすぎないようにしていただきたいと思います。

江:私は若い頃、創作に力を入れすぎていて、どの作品にも隅々まで完璧を求めていました。それがいつの頃からか、力を抜けるようになり、流れに任せられるようになりました。だからと言って何もしないわけではなく、毎日、自分が求める方向へ努力し、問題に遭遇したら解決する方法を考えなければなりません。

若い人によく言うのですが、芸術作品も作るのは人間なのですから、毎日家族と仲良く暮らし、それから作品を完成させていくのです。また、3年後、5年後には大画家になるとか、どこの美術館で展覧会を開く、といった計画を立ててはいけません。これらは自分で計画を立ててコントロールできるものではないからです。自分でコントロールできるのは毎日真面目に生活し、継続的に創作することだけです。そうしていれば最終的には認められるでしょう。

厳:江先生がインタビューを受けられる際にいつもおっしゃるのは、芸術家はあまり早くから作品を売らない方がいいということです。売ってしまうと市場のニーズに引っ張られ、迎合して妥協し始めるからです。芸術とは、人生経験の蓄積から出てくるもので、作品が成熟した時、非常に大きな爆発力を持つのです。江先生の作品も30年たってから初めて世に出ました。台湾で正式に認められるまで30年の寂寞と沈殿があったからこそ、このような作品が生まれるのです。

 

TP:最後にお二人に、お互いのことをお話しいただけますでしょうか。

江:総裁には数えきれないほど長所があります。出会ってから長年になりますが、友人に対しても仕事仲間に対しても、一度も厳しいことを言うのをきいたことがありません。それから、相手が清掃員であれ、総統夫人であれ、大企業家であれ、誰に対しても同じように向き合うことです。誰かが怪我をしたら、自らしゃがみこんで傷を拭いてあげる人です。私が言うまでもなく、その長所は皆さんがご存じです。

厳:江先生は、世界的にも影響力を持つ大きな存在ですが、非常に控えめで謙虚です。芸術が商業化しすぎることを望まないため、マネージャーもいません。そこで私が自ら、その役を買って出ることにしました。先生にもっと輝きを放ち、影響力を持っていただきたいからです。人に対しては、一般にイメージする芸術家とは違って非常に穏やかで親しみやすく、創作に当たっては己に厳しく決して妥協しません。

Conversations with Taiwan Panorama Shining Lights in Eastern Taiwan

Stanley Yen’s and Paul Chiang’s Blueprint for Taitung

Tina Xie /photos courtesy of Jimmy Lin /tr. by Phil Newell

When you think of Taitung, all kinds of exciting activities come to mind: the Chishang Autumn Rice Harvest Arts Fest­ival, the Taiwan Open of Surfing at Jinzun, the Taiwan International Balloon Festival on the Luye Highland…. People used to have a stereo­typical image of Taitung as having “beautiful mountains, clean water, and nothing to do.” But as a result of innovative ideas introduced by the government and the long-term efforts of non-governmental groups, Taitung has been transformed into an internationally renowned tourist destination.

Besides its attractiveness to tourists, Taitung also is rich in culture. The Alliance ­Cultural Foundation, founded by Stanley C. Yen, who is its chairman, has for many years worked to discover and cultivate local talent in Hualien and Taitung. Paul Chiang, a world-class artist who relocated to Taitung in 2008, has created an arts center in Jinzun, Donghe Township. In the future, besides displaying his own lifetime’s creative work, Chiang plans to invite musicians and writers to be artists-in-residence there, in hopes that even more creative people can find inspiration in Taitung’s natural surroundings.


 

In order to better understand Taitung’s advantages and potential for development, Taiwan Panorama invited Stanley Yen and Paul Chiang to participate in a conversation, presided over by editor-in-chief Ivan Chen, to discuss their impressions of Taitung and their visions for its future, as well as the deep friendship that exists between the two men. 


 TP: Stanley Yen, what do you believe are Taitung’s advantages for “placemaking”?

 Y: Fifty years ago I did my military service in Hua­lien, and got to know its rich indigenous cultures. Taitung, meanwhile, had pristine, unspoiled natural scenery and majestic landscapes. Today, it also has indigenous artists and musicians as well as world-class artists like Paul Chiang living there. This makes me think of the placemaking project in the Seto Inland Sea in Japan, in which desolate islands were transformed by artists into a major scenic area which attracts many people on pilgrimages to its annual arts festival. Both Paul and I believe that Taitung will be an international scenic spot that is in no way inferior to the Seto Inland Sea. 


 TP: Paul Chiang, after moving to Taitung the style of your paintings changed from gloomy to bright. Stanley Yen jokingly describes this as “an elderly man finding romance.” How has Taitung affected your creative work?

 C: In all my series of works, the most important element has been light. Sometimes the light is weak, sometimes it is soft, sometimes it is bright, but in all cases it is light that comes from inside me. This explains why when I lived in New York, Paris, and Taipei, I didn’t want to look outside myself, I just wanted to enjoy the light that shone from within me, which was a pious and sacred light. However, after moving to Taitung, I began to open the windows in my studio and experience Taitung’s sunshine, air, sea, flowers, and plants, and to express the feelings that Taitung gives me in abstract paintings. 


 TP: Stanley Yen, the Alliance Cultural Foundation, which you founded, has been working in Taitung for many years. How have your local operations remained sustainable?

 Y: After I recognized Taitung’s advantages, I began to think about how to ensure they wouldn’t be destroyed by the development habits prevalent in Western Taiwan, so we turned to energizing local culture.
Take Jinzun, for example. In winter the northeasterly monsoon winds drive the ocean waves against the shore, creating excellent surfing conditions. This is why surfers from Japan, Europe, North America, and Hong Kong come here from November to April; this is Jinzun’s natural asset. However, there were no public toilets near the place where people surf, so I invited the then minister of transportation and communications to come and have a look, in hopes that the public facilities here could be improved.
We also brought the media to the MianMaWu Cotton boutique in Donghe Township to report on the handcrafted products made by Long Huimei, so that more people could become familiar with her work. She has since been an artist-in-residence in Italy and France. With orders from overseas, more than 30 local women have been mobilized to do weaving, revitalizing this once moribund indigenous community.
Besides preserving local culture, it is even more important to internationalize Hualien and Taitung. There are already Michelin-caliber restaurants in Taitung’s Changbin Township, with both indigenous cuisine and French dishes on the menu. We have also founded an international experimental school in Taitung—the Junyi School for Innovative Learning—where local young people can learn English and integrate into the global community. In this way they will have the chance to bring international resources into Hualien and Taitung. 


 TP: Paul Chiang, when you were on Long Island in New York, you got the idea to build an arts center, but you have only been able to implement this idea after arriving in Taitung. Why did you initially want to build an arts center? And what similarities are there between Long Island and Taitung?

 C: There are a number of similarities between Taitung and Long Island: They are not densely populated, the air is clean, there is fine natural scenery, and there are no high-rise buildings. In the 1980s I lived in East Hampton on Long Island, and every summer I would think about opening my studio to the public, to give everyone the same chance as I had to experience the beauty of nature. However, after moving to Taipei, I gave up that idea for a time because of the different environment. Later, in Taitung, a variety of factors—the excellent environment, having sufficient skills and resources, and Stanley’s influence—led me to think I should be doing something to give back to society. 


 TP: Stanley Yen, you have described yourself as a “fan club” for Paul Chiang. What is it that you admire about him?

 Y: We only met after Paul returned to Taiwan 20-odd years ago. At the time I was a greenhorn when it came to art, but I was really moved by the works in his “Silver Lake” series. When I was planning the décor for Hotel One in Suzhou, I discovered that the atmosphere of the rooms was overly modernistic, and the first thing I thought of to address this problem was Paul’s paintings. I immediately got on the phone back to Taiwan, and Paul lent me photographic reproductions of two “Silver Lake” paintings. After hanging these pictures, the atmosphere in the rooms became less harsh. This taught me that an artist can change the atmosphere of an entire space with his work.
After Paul turned his studio into an arts park, he began setting up an area for artists-in-residence, as he didn’t want to be the only artist to be inspired by Hualien and Taitung. One day, both Paul and I will have passed on, but memories of the artists’ presence will remain forever in Taitung, just as the Junyi School will go on in perpetuity, preparing more and more young people for the future. 


TP : Paul Chiang, can you share with us how your life and mindset changed after you moved to Taitung?

 C: When I was young, I didn’t listen to many different kinds of music, but each day when I opened my studio I would invariably put on some piano music by Bach. Now when I work in Taitung, I listen to everything, whatever strikes me at the moment. I listen to Elvis Presley, rock and roll, and Bob Dylan.
Today I’m more relaxed about a lot of things. It’s not like when I was young and my attitudes were absolute. I worked very, very hard on my art works, demanding of myself that every part must be perfect. It was only after 20 or 30 years that I learned that I don’t always have to be so all out, that I can just go with the flow. 


TP : You are both in your seventies now, but you still hold fast to your ideals. Can you both share your outlook on life, and provide some encouragement for younger people?

 Y: When I first arrived in Hualien and Taitung, I never imagined that I would found a school, which was a task unlike anything I had ever done before. But now what I do in Taitung is not only linked to the arts, and I have even become a “fan club” for Paul Chiang. I want to tell young people that what you do in the future will not necessarily be related to the goals you set out for yourself at first. Unexpected things happen at every stage in life. But as long as you know what your own strengths are and what the trends are for the future, you can combine these two things to find a direction for your future, so don’t put too much pressure on yourself.

C : When I was younger I was too demanding of myself in my creative work, fussing over every detail of each piece—I wanted each one to be perfect. But gradually I began to relax and, to put it simply, to go with the flow. That doesn’t mean doing nothing, but it means devoting effort every day to the direction you want to go, and figuring out how to handle problems as you encounter them.
I often say to young people that art emerges from life, so every day you have to go out and live your life and interact with your family, and after that continue to produce works of art. Also, don’t try to make a plan that three or five years down the road you’ll be a great artist and have exhibitions in this or that art museum, because these are things over which we have no control. The only thing you can control is to live earnestly every day and keep on doing creative work, and in the end you will definitely get positive results.

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