地元オリジナルへのこだわり
国際化を目指そうと、陳建行は日本で行われた食品フェアに参加したことがある。思いがけなかったのは、彼のゴボウ茶を見た日本人が「どうやったのか?」と驚愕することだった。バイオテクノロジーを学んだ陳建行は、ゴボウの糖化作用をモニタリングすることで、冷水でも淹れられるゴボウ茶を開発したのだった。それは当時の日本でも驚くべき技術だった。
1週間後、海を越えて日本人がやってきた。陳建行と提携したいと言う。だが、帰来のゴボウは生産量が少ないうえに、台湾の品質認証は日本では無効だったため、商談はまとまらなかった。日本だけでなく、ほかの国からもオファーがあったが、結局は断ることになった。「彼らはいずれもビジネス重視で、白いゴボウを用いて加工しろと要求してきました。それでは私が故郷に戻った意味がありません」大きな収入には結びつかなくとも、帰来のゴボウを使い、地元の産業を持続させることに彼はこだわった。
次の世代にもつなげようと、彼は産学連携を進め、大学生に栽培技術を教えた。屋根ほどの高さのあるトラクターを指して彼は、「うっかりしてこれを壊す学生が毎年いますよ。修理には40数万元かかるのですが」と言う。大学の農業関連学科には、学生が実際に操作できる農業機械がない。技術を伝えるために若い世代への投資を彼は惜しまない。
500万元するこの農機具は、教具となっただけでなく、農家にとっても大いに福音となった。効率的に土を耕せるのはもちろん、地下1メートルまで掘り起こせるのでゴボウがより深く生長するのだ。また、故郷に戻った若者たちを支援するために彼らにも設備を提供したり、ゴボウ加工品の販売を任せたりしている。農業委員会の主任委員がこれを知り、何か助けは要らないかと尋ねてくれるなど、サポートも得た。
陳建行にとってゴボウは単なる事業というだけでなく、ライフワークである。たとえ自分が損失を出しても、帰来の人々にはゴボウが帰来の根だと知ってほしい。ある年、彼は収穫祭の出し物として2反ほどの畑を提供し、地元の人に無料でゴボウを収穫してもらった。「自分で掘り起こしたゴボウは全部お持ち帰りくださいって。女房には後々まで文句を言われましたが」収穫祭の後、畑には途中で折れて引き抜けないゴボウが多く残った。残ったゴボウは地中で土壌を劣化させる化学物質を出す。そこで彼は別の方法を考えた。
2008年、陳建行はブランド「大力蔘」を立ち上げ、「三章一Q」の認証を得たゴボウとその関連商品を販売、そして有機食品店への販売ルートを開拓した。その翌年、自分としては十分な準備ができたと彼は故郷へ戻った。そしてまさにこの年、彼のゴボウ事業はついに黒字に転換した。「私が台湾農林で得た収入はゴボウの6年の赤字を埋めることになりました」と笑う。
農家は、ゴボウを抜きやすいようにまず葉を取り除く。(屏東帰来地区発展協会提供)