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阿三哥、大<IMG SRC="/words/word0857.gif" border="0" align="botton">婆、阿欽、小聡明、放牛校長など、台湾の多くの人は幼年時代を劉興欽さんの漫画とともに過ごした記憶を持つ。
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劉興欽と言えば、誰でもよく知っている漫画家だろう。「阿三哥(三あんちゃん)」「大 婆(隣の小母さん)」「機器人(ロボット)」など、内外で人気を博した漫画家、しかも100を越える特許を持つ発明家で、個人としては台湾で最も多くの特許を持っていて、その卓越した業績は両手の指でも数え切れない。中でも一番賞賛に値するのは、日本のコミックスに圧倒されていた漫画界で、以前の社会における様々な生活の一齣を描いたことである。歳月の痕跡をたっぷりと残したこれらのコミックスは、台湾でも大陸でも、時の流れに色褪せることなく今も読まれ続けている。
今年3月、劉興欽さんが自分の母親をモデルにした「大 婆」と、自分をモデルとした「阿三哥」のキャラクターが、新竹県横山郷内湾の代表的人物となった。帰省や観光の車の波がその故郷へと向い、すべてが単純で楽しかったあの時代、三あんちゃんがあれこれと頭を絞っていた頃を振り返ろうとしている。
劉興欽、1934年生れ、新竹県横山郷大山背の出身で、今も客家人特有の純朴で勤勉な性格を残している。劉興欽さんによると、この一生で一番懐かしいのは「阿欽(欽ちゃん)」の漫画に描いた時代、生活が苦しかった子供時代で、妹を負ぶい牛を引いて、何里もの道を学校に急いだ頃である。貧しく辛かった毎日は、彫りつけたように永遠に心の中に焼きついている。
その当時の状況を思い出して、台湾が祖国復帰したその年が一番苦しかったと劉さんは言う。前後2年は干害が続き、米がなくて野草の類を食べていた。その貧窮は『小さな村の物語』に生き生きと描かれている。また『阿欽の物語』も、多くの漫画ファンに感動の涙を絞らせたものだった。
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